1人は近所の心療内科の女性医師。下の子が小学校に上がるころには恐怖で眠れなくなっていた紀子さんに、診察と薬だけでなく、顧問弁護士を紹介してくれた。実際にその弁護士は家を出た翌日に、離婚調停の内容証明郵便が届くように手配してくれ、調停で離婚を成立させてくれた。
2人目は区役所でケースワーカーとして、当日も一緒に行動した元警官の女性だ。夫の目を盗んで友人宅でインターネットを借り、自力で引越ししようと準備していた紀子さんに「完全に身を隠してから、次の住まいに行きましょう」とシェルター行きを勧めてくれたのが彼女だった。「DV等支援措置」(加害者らへの住民票の交付を止める手続き)を申請していた紀子さんに、電話をかけてきて「何とか面談に来てほしい」と促し、短い聞き取りをした。
警察でも児童相談所でも何度も聞き取りされ、疲れきっていた紀子さんだが、彼女に初めて「結婚前はどうだった?」と過去のことを聞かれた。意外に感じながらも、ふとある出来事を思い出した。付き合っていたころ、家の最寄り駅だけしか知らない夫に電話で「部屋から○○公園が見えるんだよ」と話したら、マンションの下にいたことがあった。夫の行動パターンや人物像を探る質問だったのだ。些細な情報も残してはいけない、引越しはしてはいけない、シェルターに行くことを誰にも言ってはいけないなど、さまざまなアドバイスを受けた。
新天地で生活を始めてからも、離婚が成立するまでは恐怖で、PTSD(心的外傷後ストレス障害)とパニック障害を発症した。電車や街なかで、タバコと酒、雨に濡れた革の匂いがすると、動悸がして涙がこぼれ、体が動かなくなった。それでも穏やかな時間が母娘3人を癒やしていった。紀子さんはいま、働きながら2人の子育てに励んでいる。
「私もそうでしたが、シェルターに行くことに不安を持っている女性は多いと思います。どんな場所かもわからないし、当日までどの施設に行くかもわかりませんから。でも、とても癒やされる場所だったことを伝えたい。偏った思考回路も子どもたちの思いも、ヘトヘトだった心も体も、そのままの状態で次の場所に移っていたら、正常に戻れなかったと思います」