虐待によって子どもが命を落とす事件が後を絶たない。異常と思えるような環境からどうして逃げられなくなってしまうのか、なぜ家族も止めることができないのか。関東地方に住む40代の女性は、小学生の娘2人を連れ、暴力を振るう夫のもとを離れた経験がある。「同じ境遇にいる人たちにシェルターの心地よさを知ってほしい」と、当時の出来事が細かく書き込まれた手帳を見ながら、女性が静かに口を開いた。家を出たその日、何が起きたのか。シェルターでの日常とは。
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PM12:45
外はいつもと変わらない平日の昼過ぎだった。関西地方にある閑静な住宅街。マンションを出た紀子さん(仮名、40代)は生きた心地がしなかった。予定時刻に合わせて、タクシーで娘たちが通う小学校に向かう。待ち合わせ場所となった校長室には、校長と数人の教師が待っていて、しばらくするとランドセルを背負った子どもたちが入ってきた。
家族4人で暮らしてきた家を、今日、母娘3人だけで出て行く。行き先は誰も知らない。
皆勤賞だったのに、学校に行けなくなってしまってごめんね。仲良しの友だちと「さよなら」もさせてあげられなくて、ごめんね。
説明しなければいけないことは山程あるのに、「ごめんね」という言葉と、涙しか出てこなかった。
初めはキョトンとした顔をしていた娘たちも、母の涙を見て、ただ事じゃないことを感じ取っていた。
「友だちと離れたくない……」
そう、言葉を詰まらせて泣く娘たちに「ママが絶対にもう一度会わせてあげるから」と約束し、急いで学校を出た。先生たちは数日後の終業式に渡すはずだった2人の通知表を用意してくれていた。それまで学校を休んだことがなかった上の子は「皆出席」になっていて、また涙が溢れた。
裏門に行くと、事情を知る唯一の近所の知人が1人、見送りに来てくれていた。タクシーに乗り、役所に向かう。ケースワーカーの女性と落ち合って、一緒に行き先の施設を知らせる電話を待ち、またタクシーに乗った。途中の警察署で行き先を探されないための捜索願不受理届を出し、ケースワーカーの女性がコンビニで買ってくれたキャンディーを口に入れた。行き先はわからないままタクシーは高速道路を走る。料金は1万9千円を超えていた。