伊集院さんの話に戻る。8年前に私が書いた記事の、星について触れた部分から、ほんの少し引用する。

<あの日、星が美しかったのは、人々を踏みにじって平然と美しさを見せているのではない。亡くなっていった彼女、彼らに、自然というのものが最後の美しさを見せたのだろう、あの星を最後に見つめて逝かなければならなかった、たくさんの人に見せたのだろうと。>

 伊集院さんの言葉をまとめながら、星の話はちょっと大げさではないのかなあと思っていた。正直に書くなら、「伊集院さん、ちょっと盛ってるなあ」と思ったのだ。だが、全くそうでないことを、「あの日の星空」で知った。震災から1カ月も経たず、伊集院さんは「あの日の星空」を的確に表現していたのだ。

「星が見えない」ことが当たり前の都会で暮らしている。震災という未曾有の事態を前にしても、己の常識から逃れられなかった。そのことを8年後に認識し、ものすごく恥ずかしくなった。心の中で伊集院さんに、そっとお詫び申し上げた。

 番組の最初に登場した夫婦の孫と娘は、震災から19日後に車の中で発見されたという。夫が「おっかあは、必ず見上げっから、空」と言っていた。妻は、星がたまに光ると「あらー、合図、寄越してんなー」と思うと言っていた。番組の締めくくりに、夫婦がまた登場した。前向きに生きていくことを語りあう2人だったが、最後に妻がこうつぶやいていた。「風化しちゃうんじゃないかなあ」。

 風化させてはいけないなどと、えらそうに語れる立場ではない。だからせめて自分の心の中からだけは、風化させないようにしなくては。今、そう思っている。(矢部万紀子

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