伊集院静さんのインタビューをしたのは、2011年の4月だった。
その前月に東日本大震災が起きた。伊集院さんは仙台に住んでいたが、新刊本のプロモーションのために上京し、まとめて複数のメディアの取材を受けていたのだ。
あれから8年経った2019年、その日のことを鮮やかに思い出した。きっかけは、3月11日に放送されたNHKのドキュメンタリーを見たことだ。番組タイトルは、「あの日の星空」。その話をする前に、まずは伊集院さんと会った8年前の話をさせていただく。
「いきいき」というシニア女性誌の編集部にいた私が、その雑誌を見せると伊集院さんは「健康雑誌には出たことはないから」と言った。よくされがちな誤解に私は、「健康雑誌ではなく、シニア女性を対象にした月刊誌で、幅広いテーマを扱っている」と説明した。
すると伊集院さんは、いきなり語り出した。
「新しい結婚をしたとき、40代の前半でした。彼女を呼んでこう言ったんです」
これは、私が書いた記事の書き出しを引き写したものだが、ほとんど伊集院さんの言葉そのままだった。「彼女」とは女優の篠ひろ子さんだが、伊集院さんはその芸名を使うことはせず、「彼女」「妻」と表現した。
詳細は省くが、そう言ってから、伊集院さんは結婚当時のことを語った。そこから話が終わるまで、ほとんど質問をしなかった。インタビュアーとしてはまるっきりダメなのだが、伊集院さんの語りはまるで彼のエッセイを読んでいるかのような完成度の高さで、聞き惚れてしまったのだ。
エッセイ(ではなく、語りなのだが)のテーマは「生とは、死とは」であり、シニア女性へのリスペクトが底に流れていた。雑誌のターゲットを把握した途端に、ぴったりの話をする。その対応力に舌を巻いた。
話は当然、3月11日のことになった。あの日は仙台の自宅にいたと伊集院さんは言い、その夜の星が「異常に」きれいだったと表現した。11日の夜に星を見て思ったこと、それから日を重ね思ったことを語り、「東北の再生」へと話は帰結していった。彼の言葉をほとんどそのまま、記事にした。