それから8年。「あの日の星空」を見た。さまざまな人が、あの日の星がどんなにきれいだったかを語っていた。
震災で娘と孫を亡くした夫婦が最初に登場した。自宅に9日間閉じ込められて救出された男性もいた。様々な立場の人が、どこで星を見て何を感じたかを語り、今思うことを語っていた。借り物でない言葉の数々に、胸を打たれた。
仙台港のコンビナートの爆発について語ったのは、仙台市の隣の多賀城市に住む母と息子だった。大きな音とともにマンションの窓が揺れ、外を見ると真っ赤だった。当時小学生だった息子は「地獄ってこんなんかなー」とつぶやいたそうだ。
そのとき、同じマンションに住む息子の同級生がドアをノックし、「星がきれいだぜ、見に行こう」と誘ったという。「こんなときに、何を悠長な」と思いながら、外に出てみたら「星の数が尋常じゃなかったんだよね」と母。息子は、真っ赤なコンビナートと満天の星の対比に「気持ちが和らいだ」と振り返った。
星はきれいだったが、きれいと思う気持ちをすぐに打ち消した、という人も紹介された。あの星は、たくさんの流された人たちなんだ、きれいだなんて思ってはいけない、と。
家の天井まで水が入り意識をなくし、気づいたらストレッチャーの上だったという女性もいた。ストレッチャーを押している男性が「空を見上げてくださいね。周りはいろんなことになってますから。でも空の星が応援してますよ」と言ってくれてうれしかった、がんばっていかなきゃと思ったと振り返って、泣いていた。
仙台市天文台の人は、いつもの仙台で見えるのは一等星くらい、だがあの日は停電で街中が真っ暗になり、四等星、五等星、ひょっとしたら六等星くらいまで見えたのではないかと語っていた。震災直後から「あんなに星がきれいだったのはなぜですか」と問い合わせが相次ぎ、仕事で何かできるのではないかと思ったという。
同天文台はプラネタリウム番組「星空とともに」を制作、2012年3月に公開した。2018年にはクラウドファンディングで「星よりも、遠くへ」を制作、どちらも全国のプラネタリウムで投影されている。