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“難治がんの記者”こと野上祐さんには、伝えたいことがたくさんあった。病床から見た政治、社会問題に現役記者としてするどいまなざしを向け、病についても真正面からつづっていく。「人生の危機への参考書になれば」という想いを込めて2017年9月からつづけていた連載コラムが、『書かずに死ねるか――難治がんの記者がそれでも伝えたいこと』として1冊の本になった。
病という危機には、家族もともに向き合うことになる。野上さんの“配偶者”にとっても、がんと診断される以前と以後とでは生活が一変した。
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配偶者――野上は普段から私を名前ではなく、こう呼びます。聞いた方はたいていびっくりされますね。私も最初は驚きましたが、すっかり慣れてしまい自分で自分をそう呼ぶこともあります。「配偶者はどうすればいいの?」といった感じで(笑)。
2016年に腫瘍マーカーの結果を見せられたとき、その段階では本当にがんなのかということすらわからなかったのですが、野上が遠くに行ってしまうような感覚がありました。これまで対等の関係だったのが、患者とその家族、あるいは守られる人と守る人というふうに、お互いの関係性が変化したと感じ取ったのかもしれません。
そして、野上は膵臓(すいぞう)がんだと診断されました。がんのなかでも特にむずかしいといわれている、ぐらいの知識はありましたが、具体的にどんな病気なのか、どう治療するかなどについて私はまったく知りませんでした。私の両親は大きな病気ひとつせず健在なので、身近な人が病気になったのは初めての経験。なかなか受け入れられなかったです。
ですが、がんだとわかってからは野上の病気に対して120パーセントの力を注ごうと決めました。職場に配慮をお願いして、勤務時間や仕事の内容を調整してもらいました。以前は海外に出張することもありましたが、今は残業もほとんどせず、出張も免除してもらっています。