阪神時代の江本孟紀 (c)朝日新聞社
阪神時代の江本孟紀 (c)朝日新聞社

 2019年シーズンも開幕まで1カ月を切り、今季の展望に思いを巡らせる今日この頃だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に数々の伝説を残したプロ野球OBにまつわる“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「魅せる男・江本孟紀編」だ。

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 プロ入り2年目の1972年、東映から南海に移籍した江本孟紀は、前年の0勝4敗から16勝13敗と大化けし、一躍エースになった。

 そんな飛躍の1年にあって、4番打者も顔負けの豪快な打撃を披露したのが、5月24日の西鉄戦(大阪)。

 3対2の4回2死一、二塁のチャンスで打席に立った江本は、高橋明の初球、ストレートをバックスクリーンに特大のプロ1号3ラン。7対2の5回2死ニ、三塁でも三遊間を抜くダメ押し2点タイムリーを放ち、4打数3安打5打点の大当たり。本職の投げるほうでも、3安打2失点完投で5勝目を挙げるという“江本デー"になった。

「これでも高校(高知商)時代は、打てばホームランやったんですよ」と胸を張る投打のヒーローに、4番を打つ野村克也監督も「明日から4番を交替しようかな」と脱帽するばかりだった。

 同年は打率こそ1割5分6厘ながら、4本塁打を記録。75年からパ・リーグで指名打者制が採用された際に、「投手から打つ楽しみを奪った」と不満をもらした江本だったが、その気持ちもわかるような気がする。

 阪神時代の江本は、79年8月8日の広島戦(広島)で、高橋慶彦の連続試合安打の日本記録を「33」で止めたことで知られるが、別の試合では、その高橋に対し、ベンチから敬遠指示が出ると、「お前にボールを4つも投げるのはシャクだなあ」(「野球バカは死なず」文春選書)という理由で、初球を右腰にぶつけ、“敬遠死球”で塁を埋めたことがあったという。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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トンデモエピソードの真相は?