当時、A子さんの思考にはだいぶ危険な偏りがあった。普通の生活がしたいだけなのに、どうして私だけがこんな目に遭うのかと自分の人生を恨んだ。自分ひとりなら、夫から逃れても何とか生きていけると思うけれど、私なんかにこの子を育てられはしない。この子がいなければよかったんじゃないのか……。そう思いつめていた。でもそれは多くのDV被害者がそうなるのと同じで、DV被害の影響によるところが大きいように思う。母親だけを責めるわけにはいかないと私は思う。

 児童相談所の介入のきっかけはBくんへの虐待だが、子どもが受けている直近の虐待行為という事象だけでなく、その行為の背景には何があるのか、家族の関係や両親の夫婦関係はどうなっているのかという、家族そのものを大きな枠で見極めていく必要がある。しかし、DV問題と児童虐待の問題は縦割りとなっており、それを繋げるシステムは未だ構築されていないといえる。

 児童虐待防止法では、子どもへの直接的な暴力だけでなく、配偶者への暴力(DV)も児童虐待であると定義している。しかも、子どもの面前で暴力を見せることだけではなく、常に暴力的で緊張感が充満する空気の中で生活させることが虐待なのだ。

 経験上、被害者がどんなに加害者を怒らせないようにと努力しても、被害者の努力やがんばりで加害者の虐待行為をやめさせることはできない。A子さんは何とかしなければならないと、誰かに相談することを選んだが、栗原容疑者をはじめ、多くの虐待加害者は「自分の“しつけ”は間違っていない」とか、「自分には家庭内で暴力を振るう特権がある」という信念があるので、加害に気づいて自ら誰かに相談することはほとんどないのが実情だ。

 DV被害者支援の視点から考えると、今回の心愛ちゃんの事件も、Bくんの虐待加害者として扱われたA子さんの件も、児童虐待の関係者にDVの視点があれば、もっと早い時期に子どもを救うことができたし、DV被害者である母親を救うこともできたはずだ。

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子どもより親の権利が重視される日本でできること