シンガーソングライター、森山直太朗に和のイメージを持つリスナーは少なくないだろう。「さくら(独唱)」や「夏の終わり」など、代表曲に和の響きがあるからだ。しかし、ライヴパフォーマンスからはロックのマインドも感じる。歌詞に豊かな文学性をにじませながらも、何かと戦うファイターの匂いも漂っている。そうかと思えば、フォークソングの素朴さもある。文学性とロック性と素朴さ。さまざまな個性がパフォーマンスから感じられるのは、森山の作詞作曲のほとんどが高校の後輩でもある詩人、御徒町凧(カイト)との共作だからかもしれない。
「御徒町との歌詞は、ポエムというか、詩的な要素が濃い。景色をつづりながら、人の心も描いていて、そこに悲しみがあったり、安らぎが感じられたり。一方僕の歌唱は、ちょっと油断すると、フィジカルに頼りそうになります。今は力づくで歌いそうになる自分を抑えている時期です。柔術のような、もっとしなやか体の使いかたで歌いたい。そんなことを舞台演出の役割も担っている御徒町とは話しています」
アルバム『822(パニーニ)』がリリースされてスタートした「森山直太朗 コンサートツアー2018~19『人間の森』」の12月の神奈川県民ホール公演では、森山の音楽の原点が感じられるシーンがあった。アンコールでこの夜のゲスト、友部正人とともに「どこもかしこも駐車場」を歌うさなか、森山はこみ上げてくるものを抑えられなくなったのだ。
「友部さんとの出会いがあったから、僕の景色を描き心も歌う曲が生まれた。それを象徴する曲の1つが『どこもかしこも駐車場』だったからです」
友部は1950年生まれのフォークシンガーで詩人。飾らず、虚勢を張らず、マーケットを過度に意識することなく、1970年代から活動を続けている。多くのミュージシャンからリスペクトされ、そして羨望のまなざしを向けられている存在だ。そして、森山の「どこもかしこも駐車場」は街に増えていく駐車場を描写し、タイトルのフレーズをリフレイン。恋を失った悲しみが歌われていく。
「友部さんには『どこもかしこも駐車場』の音源をあらかじめ送りました。それなのに本番ではまったく違う譜割り(音符に対する歌詞の割り振り)で歌われて。でもね、それが素晴らしかった。まるで友部さん作の曲のように聴こえました。友部さんは自由だなあ、とあらためて思ったら、なんだかうれしくなった。涙がこらえきれなくなりました」