「夫に転勤があって仕事はできなくなった。私って、いったい、何なのだろう」
都内で生まれ育った山中夏美さん(仮名、30歳)は、“寿退職”して夫の姓となった自分に大きな疑問を抱くが、それを胸のうちにしまっている。
27歳で10歳年上の男性と結婚した。夫は安定した企業で働いているが転勤族で、交際中も何度も全国を転勤して回っていた。夏美さんは、大学を卒業してから非正規雇用ではあったが、地域に向けた学習会の企画から運営までのすべてを行い、やりがいを感じながら自治体で働いていた。
結婚が決まった頃、夫は都心から2時間かかる地域に住んでいたため、結婚しても夏美さんが働き続けるとなると別居しないと続かない。夏美さんの月給は手取り17万円でボーナスはない。残業も多く、平日は夜10時まで仕事をしているのが常態化していた。イベントが行われる土日は出勤しなければならない。給与は上がらず、正職員になれるかといえば見通しはたたない。実家暮らしだからこそ働ける賃金水準だった。
同僚で妊娠した非正規の職員は、育児休業を取ることができないと宣告されていた。その同僚は早産しかかると、そのまま辞めざるを得ない状況に追い込まれた。そうした状況を間の当たりにし、「もう潮時かもしれない」と、夏美さんはやむなく“寿退職”した。
夫の勤務地である千葉県の郊外に引っ越し、新婚生活が始まったけれど、知り合いは一人もいない。失業給付金を受給しながら仕事を探しても、短期の仕事しか見つからない。焦り、孤独を感じ、うつ状態になっていた。
うつ状態になった理由は仕事だけではなかった。婚姻届けを出したことで姓が変わったことも喪失感につながった。それを最初にはっきり感じたのは、妊娠が分かった時だった。病院で妊娠していることを告げられて嬉しいはずだが、夫の姓で呼ばれると、新たな命を授かった嬉しい思いがかき消され、「私っていったい誰なんだろう」と思えてきた。