納得いかないまま姓が変わったことでアイデンティティを失った夏美さんは、「地元を離れて結婚して。引っ越ししたのも自分の選択のはずだが、心は空っぽになってしまった」と静かに語った。そして、失業給付の受給期間が切れると、いよいよ焦りを感じた。
「夫は転勤族。もし仕事が決まっても、すぐに転勤になって辞めるのでは迷惑をかけてしまう」と思うと無責任な気がして、パートでさえも仕事に就けない。そのうち、「そうだ。子作りしよう」と思い始めた。けれど、「私、どうしたらいい?」「私、なんのために存在しているの?」という思いがまた頭のなかを駆け巡る。
収入がないのに家にいることが辛い。たとえ安月給だとしても、自分に収入がないことで「働かざるもの食うべからず」と思えてくる。夫の収入で自分が暮らしていることに疑問を感じてしまう。昼間、電気をつけず、夏は暑くてもクーラーもつけない。水道代の節約のためのトイレは3回に1回流せばいい、という生活を送った。
朝、玄関で「いってらっしゃい」と夫を送り出してから、「おかえりなさい」と言うまで、誰とも話をしない生活。たまに実家に帰ると、地元の友達から「夏美って、昔は輝いてたじゃん」と言われて、まるで今がパッとしないようだと言われているのと同じで辛くなる。
女児が産まれ、ようやく、「自分は子育てという仕事をしている」と思えるようになり、「生活費からたまに自分のものを買ってもいいのかな」と思えるようになった。姓の問題も、赤ちゃんのうちは「○○ちゃんのママ」と言われるのが救いだ。気にせずにいられる。
自己の存在意義を見出すことはできたのだが、出産後、夫の幼稚な部分が露呈した。夫は子育てや家事をやろうとしてくれている。やっているつもりはある。が、忙しくて子どもが寝てから帰ってくる。家事や育児で少しアドバイスすると「何やってもダメ出しされる」「否定される気がする」と、すぐにすねる。
そして、絶対にウンチの時のおむつ交換をしない。夏美さんが台所でお皿を洗っている最中、夫が「臭い、臭い。(ウンチが)出たよー」と叫んでいる。夫は「ほんと、臭い、臭い」と言うだけで、自分ではウンチのついたオムツを取ってあげようとはしない。