それを加速したのは「コーポレート・ガバナンス」だった。
例えば東芝。財界の老舗企業でもあり、社長・会長を務めた西田厚聡氏(2017年死去)が経営のかじ取りをしていたころは「優良企業」とはやし立てられた。「選択と集中」を断行し、事業構造改革を進めたと評価された。だが西田氏が「名経営者」と言われ始め、社内で独裁者として君臨してから、歯車が狂った。東日本大震災前に原子力発電事業を強化したことにも足をすくわれた。
業績を高く維持するために「チャレンジ」という掛け声で現場に無理を強いり、できない場合は不正会計に手を染めた。その結果、巨額損失を抱えた。今では会社を切り売りして、何とか生き残りを目指している。かつての総合電機産業の面影はない。
東芝の不正会計はまさにコーポレート・ガバナンスの欠如から生まれた。不正と分かっていても、上司の指示に異議を唱えられず、部下たちは従ってしまった。「実力経営者」の暴走を止める手立てが社内にはなかったのだ。社外取締役も採用し、コーポレート・ガバナンスでは先進企業だとみられていたが、内実はお粗末だった。
コーポレート・ガバナンスの欠如から苦境に陥ったのは日産自動車も同じである。平成が終わりに近づいた2018年11月、カリスマ経営者、カルロス・ゴーン氏は逮捕された。有価証券報告書の虚偽記載という金融商品取引法違反容疑と特別背任という会社法違反容疑である。
倒産の危機に瀕していた日産に1999年春、ゴーン氏はルノーから送り込まれた。当初はV字回復を果たし、カリスマ経営者という称号を手にした。だが新聞などのメディアが最近報道している事実が本当ならば、ゴーン氏の独断専行が進み、日産の私物化が進んでいったようだ。もちろんゴーン氏自身の責任は重い。だが、これまでゴーン氏に登用されてきた「ゴーンチルドレン」と呼ばれた経営陣がゴーン氏の経営判断に口をはさめず、その暴走を止められなかった責任もまた重い。
平成の30年の間に起きた経済事件から私たちは多くの教訓を得た。バブルの時代にはお金が持つ魔力に惑わされ、判断を間違える人間の性。その後の新旧対立の時代には、変化の時代なのに現状維持を望む既得権者らの保守性。そして最後の10年間では経営を自ら律していけないような会社は一気に苦境に陥るという危険性。こうした教訓はいずれも遠い昔から指摘されてきたものだろう。次の世には平成で学んだ教訓を生かして、よりよい会社が生まれ出ることを望みたい。(Gemba Lab代表・安井孝之)