平成の世の始まりはバブル経済の絶頂期だった。一見きらびやかな幕開けだったが、バブル経済の崩壊で一転。「失われた10年」、「20年」を経て、日本が凋落していく時代が平成だった。この30年の日本経済を、経済事件を軸にして振り返る。
1986年(昭和61年)末から始まった「バブル景気」とともに1989年1月、平成は始まった。株価と地価は高騰し、平成元年12月29日の大納会で日経平均株価は史上最高の3万8957円を付けた。80年代半ばからの「金余り」がバブルを生み出したのだ。
金ぴかの時代は経済の表と裏を接近させ、闇の勢力が企業を食い物にした。戦後最大の経済事件と言われたイトマン事件はその典型だった。中堅商社イトマン(現日鉄住金物産)を舞台に、1年足らずの間に3000億円が闇の世界に消えていった。大銀行、信用組合、ノンバンク、ペーパーカンパニーが関わり、銀行幹部、政治家、暴力団員が複雑に絡み合う混沌とした事件だった。お金という蜜にみんなが群がった。
1991年5月、私は朝日新聞の東京経済部から大阪経済部に転勤した。イトマンと住友銀行(現三井住友銀行)などの経営問題が表面化し、7月にはイトマンの前社長ら6人が特別背任容疑で逮捕された。上場企業の幹部と闇の勢力が一緒に逮捕されたのは前代未聞だった。
当時、住友銀行幹部からこんな話を聞いた。「暴力団関係者との関係は『借り』から入るとダメ。いったん助けてもらうとどんどん深みに入る」。金融機関も事業会社も日々様々なトラブルを抱えるものだ。そのトラブル処理を闇の勢力に任せ、助けてもらうと、次から次と要求はエスカレートする。挙句の果てに会社は食い物にされてしまうのだ。融資のトラブル、幹部社員の異性問題といった不祥事の処理は闇の勢力にとってはお手の物である。
金余りの時代は上場企業の幹部社員も派手に接待を受け、高級な料亭やクラブに出入りした。その過程で女性とのトラブルを抱えることが多かった。闇の勢力はそこに付け込んだ。京都の地元金融機関のトップは「私は1次会で帰宅します。2次会には行きません。
ところが大手銀行の東京から来た支店長は単身赴任ですから店を梯子する。すぐに問題を抱えてしまいます」と指摘していた。東京系の大手銀行が関西でトラブルを抱えたのはまさに脇が甘かったからだ。
バブルが崩壊し、一気にバブル時代の膿が出た。その最初がイトマン事件だったのだ。手に余るお金は人を狂わす。それは表の世界も裏の世界も同じであることを知らされた。