タレントの飯島愛さんが2008年12月に亡くなって、ちょうど10年が経つ。人気絶頂だった01年から03年までの約2年の間、「週刊朝日」で「飯島愛の錦糸町風印税生活」を連載、のちに『生病検査薬≒性病検査薬』(朝日新聞社)のタイトルで書籍化した。170万部も売れた自伝と比べれば売れ行きこそぼちぼちだったが、性感染症予防をテーマに飯島さんが向き合った内容だった。短期集中特集の第3回は、その担当編集者・福光恵が、飯島さんとの当時のやり取りを交えて、直球で屈託がなかった素顔を綴る。
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飯島さんが亡くなったことがわかった10年前のクリスマスイブ。住まいの高層マンションの上空には、報道のヘリコプターが飛んで、その突然の死を伝えていた。「絶対うそ」と言い聞かせながら、私はぼんやり、飯島さんのマンションに置かれた観葉植物のことを思っていた。相方もきっと心配してる。飯島さん、今すぐ起きて、と。
<<観葉植物と会話をできたのは、これが生まれて初めて。でもこれって、自分にしゃべってるようなもんだよ。そう、自分に向き合ってるだけ。ものすごく仕事が忙しくてくたくたになって部屋に戻るでしょ。そういうときはよく窓際から視線を感じる。ふと見ると観葉植物が、
「愛チン、大丈夫?」
って。
「うん。あっ、お水? そういえばあげてなかったね。今日はミネラルウオーターをあげようか」
私が弱ってるときは観葉植物も弱ってる。で、話しかけてくる。そして、いたわりあう。>>
<<人は人と話すのが楽しいと思い込んでいるけど、たまにはモノと話すっていうのもいいものだよ。こんな仲になった観葉植物がもし枯れちゃったら、すごい悲しい。だって考えてみたら初めてだもん、モノをきちんと育てたのは。
小さい頃からいつも家にはペットがいたけれど、もともと私は植物や動物をかわいがるのが苦手だったの。なんかかわいそうなんだよね。出かけようとする私のあとを留守番したくない犬が追ってくるなんて、想像しただけで、ほんとダメです。>>
(『生病検査薬≒性病検査薬』の「観葉植物」より)
自伝の大ヒットで、一躍時の人となっていた飯島愛さんを私が初めて「AERA」で取材したのが、2000年の11月。
その後、「週刊朝日」で飯島さんの連載が01年4月決まり、私がその編集を担当することになった。「そういえばこの前、同じ朝日新聞(現・朝日新聞出版)のAERAで、取材受けたよね。こっちの業界知らないし、あのときのライターさんで、まあいっか」みたいな、ゆる~いご指名もあったようだ。