週刊朝日の連載「飯島愛の錦糸町風印税生活」では、何事も明け透けに綴っていた

<<ぶっちゃけた話、この連載だって、百パーセント私ひとりの力で書いているかというとそうでもない。私が書いた文や、内容を吹き込んだテープをチェックする編集の人がいて、世に出てもおかしくないように直してくれる。
「飯島さん、とりあえず文章の最後に丸だけはつけましょうよ、丸だけは」
 このページの編集担当者はそう言うが、私は文章に句読点をほとんどつけてないらしい。だいたい読点のつけかたがよくわからない。あと誤変換がすごく多いらしい。そんな私のレベルでは、助けてくれる人が必ず必要になる。>>
(週刊朝日2002年8月9日号「飯島愛の錦糸町風印税生活」より)

 本人もそう書いているが、最初はメールで送られてきた原稿を見て驚いた。句点も読点も一切なし。句読点を発明した人は、つくづくすごいと思った。これがないと、せっかくの名文もぜんぜん読み進められやしないのだ。この日の原稿を読んで、私は飯島さんにアドバイスした。

「声に出して読んでみたとき、息継ぎするところに点、終わったところに丸ですよ」

 興味なさげにふんふん言っていた飯島さんだが、それから6年後ーー。

 引退し、立ち上げた事業を私がライターとしてお手伝いしたときに、スタッフにこんなふうに紹介されて、また驚いた。

「えっとねー、この人私に、文章の点と丸の付け方を教えてくれた人だよ」

 聞いてたんかい!

彼女しか書けないような名文

 原稿はどうやって作ってたの? そんな質問をいまだに受けるので、記憶の糸をたどってみた。作り方はいろいろあったが、例えばこう。まず飯島さんが、パソコンで打った原稿を送ってくる。誤字も多いので解読する必要もあったが、ちょっと整えると彼女しか書けないような名文が出てくる。ほかに字数に合わせて肉付けしたり、誤字を直したり。飯島さんから一度、こんな質問を受けたこともある。

「ねーねー、ブログは何文字書いてもいいのに、なんで雑誌の記事って文字数が決まってるの? 半分書いて、あとは空白じゃだめなの?」

 いい質問ね。でも、感心してちゃいけない。今ならチコちゃんにどやされそうだが、「とにかくそういうもんなの!」と言うしかない。パソコンの前に座って原稿を書く時間がないときは、楽屋などにおじゃまして、本人に直接、聞いたり、電話やテープのから原稿を起こすことも多かった。ただし、仕事はここからだ。これはライターの力不足も原因なのだが、そうして作った原稿に、飯島さんが電話やFAXでびっしり直しを入れてくる。そして直し、また赤を入れて、直すを繰り返すこと数回。みんながへとへとになって、ようやく最終原稿ができあがるパターンがほとんどだった。

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