ミーティングで講演する市川温子さん=2013年1月9日、市川温子さん提供
ミーティングで講演する市川温子さん=2013年1月9日、市川温子さん提供

 ミーティングは北米と欧州をつないでやるので、開始が夜の10時か11時なんです。忙しいときは毎日、そうじゃないときは週に2回か3回やっています。

――大変ですね。英語でやるんですよね。

 聞き取れないことはしょっちゅうあるんだけど、それは「what?」って聞き直せばいい。日本にある施設で研究する外国人は日本人に慣れているので、聞き直すのは全く恥ずかしくないし、日本人にわかるようにしゃべらないほうが悪いってみんな思っているから、とくに困らないです。

――私は東海村のJ-PARCを見学したことがありますが、加速器も巨大だし、ニュートリノ実験用の装置も大きなものでした。これを造ったんですか?

 はい。加速器から出てくる陽子を炭素にぶつけてニュートリノビームをつくり出すという装置を、(日本の素粒子実験の中心地である)茨城県つくば市の高エネルギー加速器研究機構(KEK)で共同研究者たちと一緒に設計・開発して、東海村に設置しました。京大で博士号を取得した後に始めて、KEK助手時代はこれにかかりきり。ヘルメットをかぶって作業着を着て機械の下に這いつくばっていた。

――お生まれは愛知県一宮市ですね。

 家は毛織物工場で、一日中大きな機械がガッシャンガッシャン動いていました。私は子どものころから覚えるのが本当に苦手で、融通がきかないというか、興味のないことはやれない。夏休み、冬休みの宿題が全然できないんですよ。いわゆる成績優秀者に入ったことはなかった。

 ただ、数学と物理だけは覚えなくても解けたので楽しかったし、難しい問題ほど一生懸命やりました。5歳違いの兄が京大理学部に進んで、家にカール・セーガンの『コスモス』や相対論の本なんかがあったので、物理をやりたいと思うようになり、1浪して京大に入りました。

 でも、1年生のゴールデンウィーク明けくらいから大学にほとんど行けなくなった。コンビニでバイトだけはしていましたが、自分を怠け者だと思って、つらかった。だいたい私はいつもウジウジしていて、私の人生に迷いがない時期なんてないんです。

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親は早く就職してほしかったんだと思う