単車では日本最大の車体長と乗車定員を誇った横浜市電800型。この803号は1949年に交通局工場で鋼体化改造を受け、ブレーキも手用からエアーブレーキに改善されている。滝頭車庫(撮影/諸河久:1964年4月26日)
単車では日本最大の車体長と乗車定員を誇った横浜市電800型。この803号は1949年に交通局工場で鋼体化改造を受け、ブレーキも手用からエアーブレーキに改善されている。滝頭車庫(撮影/諸河久:1964年4月26日)

 さらに次のカットは、横浜市電が生んだ日本最大の800型低床式単車。予備役で唯一両残された803号を、現在は市バス車庫や横浜市電保存館になっている滝頭車庫で撮影している。

 800型は戦時中の工員大量輸送の目的で、車体長10mの大型単車の新造に着手したが、走り出したのは終戦後の1946年。801~810は木造車体だったが、後年鋼体化されている。811~832は当初から半鋼製車体で、合計32両が木南車輛で製造された。台車は低床式に改造した軸距2800mmのブリル21E型単台車を装備。自重11トン、定員90(20)名は、同じ10m車体のボギー車だった都電1000型の64(16)名の上を行く「詰め込み」路面電車だった。

 終戦時の粗製乱造と走行時の揺れの酷さが不評を買い、1952年から製造が始まった1150型シリーズへ電機部品を提供して、早期に大半が廃車された。函館市電300型はエアーブレーキを備えた低床式単車で、神戸市電400型と相似している。ボギー車が増備され、1970年代初頭に営業線から撤退していた。駒場車庫(撮影/諸河久:1972年5月9日)

函館市電300型はエアーブレーキを備えた低床式単車で、神戸市電400型と相似している。ボギー車が増備され、1970年代初頭に営業線から撤退していた。駒場車庫(撮影/諸河久:1972年5月9日)

 次の写真は函館市交通局(現・函館市企業局)の300型単車。1970年代に入るとボギー車の増備で予備役となっていた現車を駒場車庫で撮影。

 300型は地元の「函館船渠(ドック)」で、1936年に15両が製造された生粋の道産子単車。1932年に登場した神戸市電400型の流れをくむ近代的な低床式単車だ。半鋼製の車体にエアーブレーキを装備。自重9.65トン、定員は56(26)名。正面中央窓が横引きのユニークな構造だった。台車はブリル79E型を模倣した軸距2590mmの住友製B型低床式台車を装備している。

アンティークだった岐阜の木造単車

 フジカラーリバーサルフィルムで撮影したロングショットは、名古屋鉄道(以下名鉄)岐阜市内線のモ30型単車が鵜飼で有名な長良川に架かる新長良橋を渡るシーンだ。岐阜駅前~長良北町の路線は、クランク状の狭隘な道路に軌道が敷設されたため、ボギー車が入線できなかった。そのため写真のモ30型を始めとする25両の高床式単車群が活躍していた。1967年7月にボギー車が導入され、単車は全廃されたので、この訪問がアンティークな木造車の姿をカラーポジフィルムで記録する最後のチャンスとなった。

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