谷津嘉章さん(写真/欠端大林撮影)
谷津嘉章さん(写真/欠端大林撮影)

「私もその日、長州力ら所属選手たちとともに、駒沢体育館に応援に行きました。彼はちょっと緊張しているように見えましたね。どういう形であれ、プロレスラーである自分がアマチュアの選手に負けたら示しがつかないと思っていたんでしょう。でも試合は圧勝で、私たちもその実力を再認識させられましたよ。谷津さんがアマレス復帰し五輪代表になれば、プロレス界にとっても大きな宣伝になるという考えでした」

 この圧勝で、谷津は88年のソウル五輪代表候補に浮上する。多くのアスリートの運命を変えたモスクワの悲劇から8年、メディアは谷津の五輪出場の可能性を大きく書き立てたが、このとき国際アマチュアレスリング連盟が「プロの五輪出場はNG」と待ったをかけ、谷津の五輪出場の夢は、またしても消えた。

 自分の力ではどうしようもなかった青春時代の挫折。だが「悲運の男」は41年ぶりに、人生の忘れ物を取り返した。

 谷津は、苦闘を続けたもうひとりの自分と対話をするかのように語った。

「右足はもうないけど、まだ前に進まなきゃいけないから。区切りをつけておきたかった。モントリオールから45年……これで俺の五輪は完結したよ」

 人生の「中間決算」を終えた谷津はこの6月、義足でプロレスのリングに上がる予定だ。(ライター・欠端大林)

(写真/欠端大林提供)
(写真/欠端大林提供)
AERA4月12日号から
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※AERA 2021年4月12日号