聖火のトーチを掲げて、母校がある栃木県足利市内の中心地をゆっくりと走った(写真/欠端大林撮影)
聖火のトーチを掲げて、母校がある栃木県足利市内の中心地をゆっくりと走った(写真/欠端大林撮影)

 次々と「辞退」で紛糾する聖火リレーだが、長きにわたる思いを重ねた男もいる。谷津嘉章。41年前の「幻の五輪」で涙をのんだプロレスラーが、義足で駆け抜けた。AERA 2021年4月12日号で取材した。

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 41年前、五輪出場の夢を絶たれた男が、聖火のトーチを掲げ、石畳の道をゆっくりと走っている。前方の中継カメラが、板バネのついた右足の義足をアップで映し出した。

 最後の直線に入ったとき、プロレスラー・谷津嘉章(やつよしあき=64)は、長年の格闘で変形した耳に引っ掛けた白マスクを左手で取り外し、そのままポケットにねじ込んだ。2019年、患っていた糖尿病の合併症により、右足を膝下から切断し、現在は義足の生活。約150メートルの花道の走破タイムは、およそ3分だった。

「確かに距離は短いけどさ、いざ走ればいろんなことを考えるだろうなと思ってたんだよ。こんだけオリンピックというものにこだわってきた俺が走れば、万感迫るものがあってもおかしくないだろ」

 谷津はおもむろにそう話し、こう続けた。

「だけど実際走ったら、なーんにも考えられなかったな。どこかでマスク取ったほうがいいのかな、とか思ってるうちに、あっという間に終わっちゃった。ま、これが人生だよ、ハハハ」

(写真/欠端大林提供)
(写真/欠端大林提供)

■メダル獲得の「期待大」

 3月25日、福島県からスタートした東京五輪聖火リレー。4日目となる28日、栃木県足利市で聖火ランナーをつとめた谷津は、この日のためにレンタルした特注の義足を外しながら、清々しい表情で振り返った。

「リレーを辞退する考えはなかった。だって、熱さがちがう」

 本来なら昨年3月に走るはずだった。だが、コロナ感染拡大により、本番2日前に聖火リレーの延期が決定。1年待機を余儀なくされた谷津にとって、この日は悲願の晴れ舞台だった。

「同じアマレス五輪代表だったジャンボ(鶴田、00年に死去)も長野五輪で聖火ランナーを務めたし、マサ斎藤さん(1964年東京五輪日本代表、18年に死去)も、今回の東京五輪の聖火ランナーを目指していたんですよ。俺は、そういう人たちの思いも乗せて走ったんです」

 五輪に見放された男──それが谷津の代名詞だ。

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破格の扱いでプロデビュー