須田町交差点の近景。万惣の跡地はホテル「ドーミーイン神田」になり、「須田町地下鉄ストア」ビルも建て替えられ、地下通路への直通エレベーターも付いた。頻繁に都電が通った街に、都バスの姿が見えないのが寂しい(撮影/諸河久:2019年6月1日)
須田町交差点の近景。万惣の跡地はホテル「ドーミーイン神田」になり、「須田町地下鉄ストア」ビルも建て替えられ、地下通路への直通エレベーターも付いた。頻繁に都電が通った街に、都バスの姿が見えないのが寂しい(撮影/諸河久:2019年6月1日)

 都電の背景は「万惣(まんそう)」果物店で、越後出身の初代店主から代々「惣太郎」の名前を襲名する「宮内庁御用達」の看板を掲げた神田の老舗だった。戦前から続く伝統の「フルーツパーラー」で、名物のホットケーキには絶大なファンが多かった。1967年に同地に新築されたビルで盛業していたが、先年惜しまれながら廃業した。跡地には共立リゾートが手掛けた大浴場が売り物のホテル「ドーミーイン神田」が2017年から開業している。

 万惣に隣接する「地下鉄のりば」の看板を掲げた建物が「須田町地下鉄ストア」ビルで、営団地下鉄(現東京メトロ)の前身である東京地下鉄道の神田駅開業の翌1932年に、神田駅ビルとして開業した。駅改札口に続く地下の回廊には「地下鉄ストア」があり、1960年代には食堂、床屋、靴屋、画材屋など、「昭和」のイメージにぴったりの店舗が盛業していた。2017年に、改札階に通じるエレベーターを設置した新しいビルが竣工し、バリアフリー化が促進された。

 東京オリンピックの開催中は五輪旗を掲げ、ローマ字表記を掲示した都電が走った。あの日から56年を経た来年に開催される「2020年東京オリンピック」では、どんな装いの都電が走るのだろう。荒川線を走るその晴れ姿を楽しみにしている。

■撮影:1964年10月25日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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