中央線のガードをくぐり須田町停留所に到着する19系統通三丁目行きの都電。ローマ字表示の系統板や五輪旗の掲揚など、東京オリンピックにふさわしい装いだった。万世橋~須田町(撮影/諸河久:1964年10月25日)
中央線のガードをくぐり須田町停留所に到着する19系統通三丁目行きの都電。ローマ字表示の系統板や五輪旗の掲揚など、東京オリンピックにふさわしい装いだった。万世橋~須田町(撮影/諸河久:1964年10月25日)

 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は秋葉原や神田に近い、また都電の時代に最大のジャンクションでありターミナルだった「須田町」を走る都電だ。

【現在はどれだけ変わった? いまの須田町の写真や当時の別カットなど、他の写真はこちら!】

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「東京オリンピック」は1964年10月10日、国立競技場の開会式で開幕した。「ブルーインパルス」の編隊が、秋晴れの青空に描く五輪のマークが鮮やかだったことを鮮明に記憶している。

 1964年10月は、エポックメーキングな時節だった。10月1日に「東海道新幹線」が開業し、4時間10分で東京~大阪が結ばれることになった。前日までは、東海道在来線の特急で6時間30分を要していたのだから、まさに当代用語の「イノベーション」に値する大変革だった。

現在の須田町交差点からJR中央線跨道橋を見る。昔と変わらないのは橋梁部分だけで、左端には万世橋の擬宝珠が覗いている(撮影/諸河久:2019年6月1日)
現在の須田町交差点からJR中央線跨道橋を見る。昔と変わらないのは橋梁部分だけで、左端には万世橋の擬宝珠が覗いている(撮影/諸河久:2019年6月1日)

 都市交通では、8月に全通した営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線に続き、新幹線と同日に、都営地下鉄1号線(現浅草線)新橋~大門が開業した。また、来航するオリンピック客で混雑が予想される羽田空港への大量輸送手段として、9月17日に「東京モノレール(浜松町~羽田駅)」も開業し、鉄道網の充実がはかられた。

 今回の写真は、そんな慌ただしい時期でもあり、東京オリンピック開催中でもあった1964年10月の一コマだ。

■五輪旗を掲げて走る都電

 写真は19系統通三丁目行きの都電が、須田町停留所に到着するシーンを狙った。「東京オリンピック」閉会式の翌日の撮影だったが、系統板の上部には「TO(_)RI-3」とローマ字で表記された行き先板が見える。正面上部には「五輪旗」と「東京都章旗」が掲揚されていた。背景の国鉄(現JR)中央本線の高架橋には当時の主力通勤電車101系が走り、高架橋下には後続の40系統銀座七丁目行き都電も写っている。

 東京オリンピックを迎えた「都電」は、一部路線が高速道路工事で迂回運転を余儀なくされたが、ほぼ全系統が健在だった。オリンピック開催に合わせて、前述の五輪旗を掲揚して全線を走った。都電の正面に向かって左側に五輪旗、右側に東京都章旗をそれぞれ掲げた。また、漢字表示のみの「方向幕」を補うため、別カットのように系統板の上部にローマ字表示の行き先板を取り付けた。また、車体側面の方向板には系統番号と始終点をローマ字表示した方向板を新製し、開催中はこのオリンピック仕様の方向板を使用していた。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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