新宿でも渋谷でもない! 都電時代の55年前、最大のターミナルだった意外すぎる場所とは? (2/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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新宿でも渋谷でもない! 都電時代の55年前、最大のターミナルだった意外すぎる場所とは?

連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」

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諸河久AERA#AERAオンライン限定#鉄道
オリンピック開催中に、系統板に取り付けられたローマ字表記の行き先と車体側面の方向板。茅場町停留所(撮影/諸河久:1964年10月14日)

オリンピック開催中に、系統板に取り付けられたローマ字表記の行き先と車体側面の方向板。茅場町停留所(撮影/諸河久:1964年10月14日)

 これら外国人向けの「オリンピック・サービス」は、営業所によって掲示対応がまちまちだった。運転に充当されている全車が掲示車ではなく、数台に一台が当該のローマ字掲示で走っていたようだ。五輪旗についても、掲揚していない都電を撮っているから、全てが掲揚車ではなかったことになる。

■須田町交差点は都電最大のホットコーナー

 オリンピック開催中の都電に続き、須田町停留所のある須田町交差点の話題に移ろう。中央通りと靖国通りが交差する須田町交差点は「都電最大のホットコーナー」であった。「ホットコーナー」というと野球の三塁のことで、強烈な打球がよく飛んでくるという意味だが、この須田町交差点は10の系統の都電が頻繁にやってきて「撮影や観察に熱くなる」ことから、野球の三塁守備を比喩してこの名前が付けられた。

昭和39年4月の路線図。須田町界隈。込み入ったジャンクションであることがひと目でわかる(資料提供/東京都交通局)

昭和39年4月の路線図。須田町界隈。込み入ったジャンクションであることがひと目でわかる(資料提供/東京都交通局)

 全部で41系統あった都電系統のうち、なんと約4分の1の系統を須田町交差点で捉えることができる勘定だ。また、車両形式も1000・1100・1200・1300・1500・3000・4000・5000・5500・6000・6500・7000・7500・8000型の14形式に加えて、杉並線から改軌・転属した2000型も加わり、全20形式(貨物車を除く)の3/4をウオッチすることができた。

 南北方向の中央通りに敷設された本通・上野線には、1系統(品川駅前~上野駅前)、19系統(王子駅前~通三丁目)、20系統(江戸川橋~須田町)、24系統(福神橋~須田町)、30系統(寺島町二丁目~須田町)、40系統(神明町車庫前~銀座七丁目)の六系統が走っていた。また、写真の手前の靖国通りを東西に走る両国橋線には、10系統(渋谷駅前~須田町)、12系統(新宿駅前~両国駅前)、25系統(西荒川~日比谷公園)、29系統(葛西橋~須田町)の四系統が交差していた。
 
南北方向6系統、東西方向4系統、計10系統の都電が交差する都電最大の「ホットコーナー」が須田町交差点だ。都電の背景に「万惣」果物店と「須田町地下鉄ストア」ビルがあった(撮影/諸河久:1963年10月27日)

南北方向6系統、東西方向4系統、計10系統の都電が交差する都電最大の「ホットコーナー」が須田町交差点だ。都電の背景に「万惣」果物店と「須田町地下鉄ストア」ビルがあった(撮影/諸河久:1963年10月27日)

 別カットは画面左方向にある須田町停留所で客扱いを終了し、両国橋線とクロスして神田駅前方にある折り返し点へ回送中の24、20系統の都電だ。24系統の前を19系統通三丁目行きが走っているため、回送車は徐行している。24系統の左側に見える都電の位置に折り返し分岐器があった。分岐器までの距離がとても長いのは、ここで三つの系統が折り返すことを配慮したものだ。ファンにとって須田町は、好みの角度からゆっくり都電を鑑賞できる究極のジャンクションであり、ターミナルであった。



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