新宿でも渋谷でもない! 都電時代の55年前、最大のターミナルだった意外すぎる場所とは?
連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」

オリンピック開催中に、系統板に取り付けられたローマ字表記の行き先と車体側面の方向板。茅場町停留所(撮影/諸河久:1964年10月14日)
■須田町交差点は都電最大のホットコーナー
オリンピック開催中の都電に続き、須田町停留所のある須田町交差点の話題に移ろう。中央通りと靖国通りが交差する須田町交差点は「都電最大のホットコーナー」であった。「ホットコーナー」というと野球の三塁のことで、強烈な打球がよく飛んでくるという意味だが、この須田町交差点は10の系統の都電が頻繁にやってきて「撮影や観察に熱くなる」ことから、野球の三塁守備を比喩してこの名前が付けられた。

昭和39年4月の路線図。須田町界隈。込み入ったジャンクションであることがひと目でわかる(資料提供/東京都交通局)
南北方向の中央通りに敷設された本通・上野線には、1系統(品川駅前~上野駅前)、19系統(王子駅前~通三丁目)、20系統(江戸川橋~須田町)、24系統(福神橋~須田町)、30系統(寺島町二丁目~須田町)、40系統(神明町車庫前~銀座七丁目)の六系統が走っていた。また、写真の手前の靖国通りを東西に走る両国橋線には、10系統(渋谷駅前~須田町)、12系統(新宿駅前~両国駅前)、25系統(西荒川~日比谷公園)、29系統(葛西橋~須田町)の四系統が交差していた。

南北方向6系統、東西方向4系統、計10系統の都電が交差する都電最大の「ホットコーナー」が須田町交差点だ。都電の背景に「万惣」果物店と「須田町地下鉄ストア」ビルがあった(撮影/諸河久:1963年10月27日)
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