以後、何をされても反応しないと決めた。部活動で夢中になれるスポーツという拠(よ)り所があったことも救いだった。すると、状況は一変。いじめグループが態度を180度変え、反省と謝罪を口にしたのだ。「今までごめんね」という言葉を受けた瞬間、島田の中で人格が二つに割れた。

「『いまさら何言ってるの? 絶対に許さない』と怒りをぶつけたくなる自分と、『彼女たちにも事情があったのだろう。つらかったけれど、私も成長させてもらったよ』とすべてを許そうとする自分。真逆の人格が同時に湧き上がるのをしばらく感じた後、私は後者を選びました。自分自身が好きになれる私でありたいと思ったからです。今思えば、この時に『人の良心を信じる人生を選ぼう』と決めたのかもしれませんね」

 中学では窮屈な思いをしたが、自主・自律を重んじるお茶の水女子大学附属高校では個性豊かな友人に囲まれ、自我が解放された。学友の菅原理江は、当時の島田についてこう語る。

「天才的なムードメーカーでした。先生も巻き込んで体育祭を盛り上げたり、交換留学生を迎えてすぐにハグをしたり。皆が居心地よく楽しむ雰囲気をつくるのが得意だし好きな人。アルバムをめくると、彼女がおどけて笑って写っている集合写真が何枚もあります。そういえば、彼女は皆で揃(そろ)って写真を撮るのが昔から好きですね」

 誰かが泣いたり我慢したりする世界を変えたいと願った。国際関係の仕事を志し、高校卒業後は慶應義塾大学総合政策学部へ。学部創設から間もない時期ならではの創造的でカオスな雰囲気も楽しめた。そんな中、島田が「人事」へと志望を変える転機が訪れる。2年生の秋学期に、組織論の講義で抱いた強烈な“違和感”がきっかけだった。

 その日、ゲストとして教壇に立った大手銀行の重役が「出世の仕組み」について説明した後、こう言った。「当行も最近は元気がなくなってきましたので、皆さんのような優秀な方々にぜひ入っていただき、いい会社にしてもらいたい」。当時の島田はこれを期待や激励とは受け取れなかった。

 おかしい。まずは今そこで働く人たち一人ひとりが元気に活躍する方法を考えるべきでは?

「疑問が湧いた次の瞬間に、ハッとしたんです。『この問題を解決するのは、なんという分野だろう?』と。調べてみると、モチベーションや組織風土を開発するのが『人事』だと知って。私はこれをやっていくと決めました」

(文中敬称略)

(文・宮本恵理子)

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