■山岳ガイド・根岸知との出会いが人生を変えた

 中学校に入るとバンド活動にのめりこんだ。ドラムを担当し、高校時代には内田裕也の前座を務めたことも。バンドに熱中する一方、高校では山岳部にも入部した。「高校から始めても遅くないスポーツ」として選んだという。週末は精力的に山に登ったが、生活の7割は音楽。楽器を買うためアルバイトもした。バイクの免許を取り、ツーリングにも繰り出した。そうするうち、出席日数が足りず2年生で留年。そして2度目の高2の冬、山岳ガイド・根岸知との出会いが人生を変えた。

 持ち前の性格で留年後のクラスでも慕われたが、2度目の修学旅行は気恥ずかしさから参加を辞退する。返金された積立金を、母は「自分のために使ったら」と提案してくれた。ほしい楽器はたくさんあった。だがこのとき、近藤は物ではなく経験を買うべきだと考えたという。部活では禁じられていた雪山登山に行こうと思い立った。

 当時、高校生を本格的な雪山に案内するガイドは少なかった。片っ端から問い合わせ、やっと受け入れてくれたのが根岸だった。5~6人で北アルプス・五竜岳へ。根岸がつくる食事を食べ、雪洞を掘って眠った。トラブルに対処する根岸の技術、客を楽しませる力、さまざまな立場の大人と同じ釜の飯を食う経験。どれもがまぶしかった。

「山では自分たちの境遇は関係なくて、厳しさも美しさも同じようにみせてくれる。そして根岸さんは本物のエンターテイナーでした。僕は雪山にも、根岸知というガイドにも感動したんです」

 近藤は常々、「雨でも、登頂できなくても楽しませるのがプロ」だと語る。根岸の姿が根底だ。

 それ以降、近藤は根岸に師事する。ツアーを手伝い、海外登山も経験した。そして1983年と85年には、根岸の紹介で登山家・医学博士の今井通子が率いるエベレスト北壁登山隊に加わった。一般ルートとは段違いの難易度でそびえる北壁の冬季初登頂を目指す、野心的な計画だった。83年は荷運び要員だったが、85年は隊を代表して登頂に挑むアタック隊員に選ばれた。このとき近藤と共に頂上を目指したのが登山家の大蔵喜福(おおくらよしとみ・72)だ。

「83年の挑戦のあと、謙司くんはどんどん山にのめりこみました。一緒に雪山にも通いましたし、自分でも相当トレーニングしたんでしょう。2年でこれほど力をつけるとは思わなかった。85年は私が上部でルート工作し、ほかの隊員が物資を上にあげていたけれど次々に脱落した。力が残っていたのは謙司くんぐらいだったんです」

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