06年には国連事務総長のコフィー・アナンが金融業界に社会的責任投資を呼びかけていたが、新井は当時「こんなきれいごと、うまくいくわけはない」と冷ややかに見ていた。それでもセミナーにまで出かけて話を聞いていたのは、どこか自分の中に罪悪感があったからだという。

「こんなきれいごとが成立したら自分たちが否定されるから、うまくいかない理由を見つけては安心していた。一方で、皆さんの年金を増やしていて社会に役に立っている実感はあったけれど、どこか何か満たされないものもあったんです」

 当時は年収数千万円を稼ぎ、休暇には1泊18万円もするオーストラリアのエアーズロック前の高級ホテルに泊まるような生活をしていた。世界中から集まった人たちと砂漠の中でディナーのテーブルを囲む贅沢(ぜいたく)な時間を楽しみながらも、「このお金を別のところに使ったら、別の価値が生まれるんだろうな」とも感じていた。

「それでも病気にならなかったら抜け出すのは難しかった。さらにリーマン・ショックでは大変な思いをしている同僚には申し訳ないと思いつつ、自分たちがやってきたことは否定されたと感じました。なのに金融は責任を取らず、一般の人が苦しむのはおかしいと思ったんです」

■家族のために働く日常 格差に直面した中学受験

 新井に最初に真正面から「お金とは何か」と問うたのは、大学時代に働いていた監査法人の代表、橋本光弘だった。橋本にはクライアントを選ぶ時、「お金のためでなく、何のために事業をするのかがある企業と付き合う」という信念があった。新井はここでの経験を、「『働くとは何か』『生きるとは何か』について考える時間を与えてくれた場所だった」と振り返る。

 その新井が就職先に銀行を選んだと聞き、橋本は「新井くんにとってお金って何?」と聞いた。今回橋本にその意図を尋ねると、「お金が好きそうに見えたから」という。

 新井は就職するまでお金とは縁が薄かった。幼い頃から家族のために働くことは日常だった。足に障害がある母の買い物に姉と交代で付き添い、重い荷物を持った。「カズちゃん、偉いね」と大人たちからほめられることがうれしかった。小学校高学年の時に、畳職人だった父がひき逃げ事故に遭い、思うように仕事ができなくなってからは、重い畳を運ぶ手伝いもした。中学校では新聞配達のアルバイトも始め、部活の夏季合宿には出られなかった。

次のページ