ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長。元学徒らと共に沖縄戦の継承に尽くしてきた(photo 編集部・渡辺 豪)
ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長。元学徒らと共に沖縄戦の継承に尽くしてきた(photo 編集部・渡辺 豪)

 国益と住民の生命・財産を守ることが両立するとは限らない。「本土決戦準備の時間稼ぎ」として「防波堤」にされた沖縄戦がまさにそうだった。そして今、「台湾有事」が取りざたされ、戦略上、沖縄が攻撃対象になるリスクは高いとされる。

「戦争の犠牲になるのは住民です。このままでは、沖縄戦のように軍官民が一緒になって破滅の方向へ進むのでは、と危惧しています。県民が国策の犠牲にならないためには、知事が先頭に立って国や全国世論に発信し続けなければいけない。でないと、国全体の大きな圧力にのみ込まれ、沖縄は軍事の最前線に押し出されてしまいます」

 沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」、そして「軍隊が配備されたところが標的にされる」ことだと語り継がれてきた。だが、県内世論も変化している。朝日新聞などが今年実施した県民意識調査で、沖縄戦の体験が引き継がれているかとの問いに「きちんと引き継がれている」が42%、「そうは思わない」が52%。県民が最も重視する課題は「経済振興」が「基地問題」を上回った。普天間さんは言う。

「戦後、体験者と共に積み上げてきた沖縄戦の認識や教訓が、今どれぐらい県民に共有されているのか、正直心配な思いもあります。しかし、戦争へ向かう大きな歯車が回り始めている今、沖縄戦体験者の思いを知る私たちは諦めるわけにはいかない。沖縄の知事には沖縄戦の教訓を再認識し、そこだけはぶれないようにしてもらいたい」

 穏やかな波が打ち寄せる浜の向こうに、大型クレーンや運搬船がひしめき合って駆動する。埋め立て土砂が投入されるたび、海面をつたって地鳴りのような音が響いた。

 基地建設の埋め立てが進む沖縄本島北部の名護市辺野古。大浦湾をはさんで対岸にある瀬嵩浜は「貝の宝庫」と呼ばれてきた。この浜で拾い集めた約800種の貝を展示する私設資料室「貝と言葉のミュージアム」を18年から21年まで開設していた名和純さん(54)に8月26日の大潮の日に浜辺を案内してもらった。

「この辺りは砂粒が細かいので波のあとが砂地に残っています」

 名和さんが指さす波打ち際に目を凝らすと、白っぽい光沢がキラキラと乱反射していた。1センチ前後の貝殻が無数に散らばっている。名和さんがほんの数秒で拾い集めた貝殻は14種に上った。サンゴ礁、岩礁、砂地、干潟、藻場。さまざまな生息環境にすむ貝だという。貝殻が点々と並ぶ浜辺の光景を名和さんは「渚(なぎさ)の五線譜」と名付けている。

「寄せ波がしるしていった線に沿って小さな貝が音符のように並んで打ち上げられているからです。瀬嵩浜の数百種の貝の帯は、大浦湾の生物多様性が結晶したかのようです」

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