志望校は東京学芸大学。偏差値が約20足りなかった。家庭の事情で塾に行けないため一人で猛勉強し、みごと合格した。

 松崎が卒業アルバムをみせてくれた。入学当時は顔を少し斜め上に向けて正面をみる「斜に構えた」葉一が、卒業時には自信にあふれた表情でまっすぐ前を向いていた。

 晴れて大学入学を果たしたが、理想と現実の狭間(はざま)で悩むことになる。葉一は自身の体験もあり、子どもの自殺をゼロにしたい、メンタルな相談にも乗れる教師になりたいと考えていたのだが、大学3年の教育実習で、教職員が抱える仕事量の多さに圧倒され、理想を叶(かな)えるのは困難と感じる。教員採用試験を受ける意欲は薄れていった。

 そんな思いを抱えた時期だから巡りあったのかもしれない。大学4年の秋に臨んだ教育実習先で、授業中なのに3人の女子中学生が屋上で話しているのがみえた。人見知りで普段なら素通りするのに、気がついたら声をかけていた。

 そのうちの一人、智子(30)は当時、両親とも先生ともうまくいかず、生きる理由も将来のことも考えられず保健室登校をしていた。大人とのコミュニケーションを完全に拒否していたのに、葉一は受け入れることができた。智子が振り返る。

「自分の苦しんだ経験などを包み隠さず話してくれたんです。自分は中学のとき、人生を終わらせなくてよかったって。人って自分のことを話してくれた人に心を開くんですよね。私も素直に葉一君にこれまでのことを話しました。そしたら『言っていることがわかるから力になりたい』と」

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 母親の手料理を食べる機会がほとんどないと言う智子に、葉一は弁当をつくってくれた。「智子に何があっても俺は全肯定だから」とも。教育実習の2週間、空いた時間のほぼ全てを3人との会話に費やす葉一の姿をみて、智子は自分のことを本気で考えてくれる大人がいることに気づいていく。実習最終日、智子は葉一に言った。

《これからは、ちゃんと生きていくから》

「衝撃、でしたね。あの頃の僕は生きる意味をまだ見いだせてなくて、どこかで死にたいと思っていたんですが、智子のその言葉は、“俺でも人の役に立てる”ことをすごい衝撃で教えてくれた。あの瞬間、死にたがっている自分を殺してくれた。智子や友だちに恩返しができるよう子どもたちのために役立つ存在であろうと心に誓いました」

(文中敬称略)

(文・西所正道)

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