経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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日本人は本当に賢くて、本当に優しい。何かにつけてそう思う。だが、事あるごとに、日本人は本当に愚かで、本当に優しさに欠けるとも思う。
東京五輪の開会式が数時間後に始まる。このタイミングで本稿を書いている今、我が日本人観は、完全に「愚かで優しさ欠如」の方に傾いてしまっている。一体、何人の五輪関係者が辞任や解任に追い込まれれば、醜聞に終止符が打たれるのか。
激烈な女性蔑視ぶりを露呈した政治家。人気タレントの容姿を侮蔑することがショーアップ効果につながると思ったコピーライター。同級生いじめの「実績」を語ったミュージシャン。ユダヤ人大量虐殺をコントの題材にしたお笑い芸人。何とも、吐き気がするラインアップだ。
この人々に共通するものが三つある。三つの無だ。無知・無魂・無涙である。
無知は人間を無神経にする。知るべきことを知らないままでいると、とんでもない形で他者を傷つけることになりかねない。魂なき者には、無知の怖さがわからない。そして、自分の無知を恥じることを知らない。
涙なき者ほど、哀れな存在はない。他者のために流す涙を持ち合わせていない者たちには、自分の惨めさがわからない。もらい泣きすることができない。それほど、悲しいことはない。
類は友を呼ぶとは、よく言ったものだ。似た者同士がお互いを呼び寄せる。この力学が濃密に働く中で、辞任・解任ラッシュにつながる演出チームができあがってしまったのだろう。
三つの無の「類友チーム」と、本当に賢くて本当に優しい日本人を一緒にしてはいけない。両者は別種の人々だ。有知・有魂・有涙の日本人は、無知・無魂・無涙の日本人よりも遥(はる)かに多いはずだ。三つの有の人々の賢さと優しさが、三つの無の軍団の愚かさと優しさ欠如を抹殺してくれる。そうに違いない。
三つの有の日本人と、三つの無の日本人の最大の違いはどこにあるか。それは、三つの有の日本人には、三つの無の日本人を哀れむ能力があるということだ。三つの無からの解放。三つの有の日本人は、そのために祈ることができる。神よ、三つの無の日本人を救いたまえ。
浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
※AERA 2021年8月2日号