今も重用される理由について、政治評論家の有馬晴海さんはこう指摘する。

「この国をどうにかしようとする人たちのために外堀を埋めることが得意で、五輪関係でも、陰で動いて手柄を人にあげられる人だから重宝されたのでしょう。目配りで生きてきたところがあり、知恵があるから自分自身が接着剤役になっていろんな人たちをつなげていく。失言もありますが、人間力もなかなかです」

■粘って縁故入社する

 有馬さんは、森氏の魅力として、具体的に「交渉術」や「処世術」を挙げた。

「産経新聞社への入社の経緯や、初当選のときのエピソードなどから、そうした才能に若いころからたけていたのだと考えられます」

 森氏の自伝『私の履歴書』(日本経済新聞出版社)でも、それらのエピソードに触れられていた。産経への入社の際は、縁故を使ったので安泰だと思っていたらしい森氏。ところがその年に限って採用がない旨をいったんは担当者から告げられるが、なんとか粘って入社にこぎつけたのだという。

 初当選の際は、自民党の公認候補になれなかったにもかかわらず、知人のつてを頼りに安倍晋三前首相の祖父、岸信介元首相に石川の地元に入って応援してもらえるようお願いしたという。当時、羽田空港と小松空港を結ぶ路線はプロペラ機だったようで、悪天候で石川入りが実現しないことを心配した森氏は、負担はかかるが列車で来るよう、自ら交渉したようだ。そのおかげもあってか、選挙区でトップ当選を果たした。

「総裁選もせずに小渕恵三さんの後継になるなど、いつもギリギリのところでうまくかすめ取ってきたのが森さんです。世の中を渡っていく知恵を蓄えているようです」(有馬さん)

■野党とのパイプも強い

 自民党衆議院議員秘書の経験があるコラムニストの尾藤克之さんは、森氏が築き上げた幅広い人脈も強みと考える。

「永田町の住民は、与野党問わず森さんのことを悪く言う人はそれほどいません。野党とのパイプもとても強かった人で、自社さきがけ政権の発足時(94年)に、村山富市さんをかつごうと裏でうまくネゴしていたのも森さんでした」

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