でも、ジャニーさんにとっては、納得のいかない部分があったんだと思います。しばらく、距離がつめられない時期が続きました。

■縁をつないでくれた

 先述の故・蜷川演出の舞台「青い種子~」に挑んだのは、その3年後だ。

亀梨:僕の中で、外の方と組む1発目は蜷川さん以外考えられませんでした。10代で梅田芸術劇場で「DREAM BOYS」に出ていた頃、下の階のシアター・ドラマシティで蜷川さんも公演中で、「YOU、ちょっと一緒に行こうよ」とジャニーさんに連れられて、挨拶させていただいたことがありました。その時に蜷川さんが「亀梨君、早く僕と一緒に仕事しようよ」と言ってくださって、ジャニーさんは「亀はダメだよ。YOUには渡さないよ」と返して、そのやりとりがすごく印象に残っていたんです。

「青い種子~」の稽古中、蜷川さんと「最近ジャニーと話してるのか?」「こういういきさつがあって、ちょっと距離ができてしまったんです」という話になったことがあります。そしたら、たぶん蜷川さん経由だと思うんですけど、ジャニーさんがゲネプロをこっそり見に来たんですよ。その夜に久々に電話をくれて、「YOU、めちゃくちゃ良かったじゃない」と褒めてくれた。ゲネプロ中はジャニーさんの姿は見えなかったし、いるとも思っていなかったから、もうびっくりして。

 のちにジャニーさんの病室で、キンプリ(King&Prince)の子たちから「僕ら、亀梨君の舞台を観に行かせてもらったことがあるんです」って言われて、それが「青い種子~」だったんです。「ジャニーさんに『絶対観に行け』って言われた」って。ジャニーさん、僕には全然そんなそぶりを見せなかったけど、後輩への橋渡しをしてくれていたんです。

 二人の恩人について語るとき、丁寧に言葉を探した。

亀梨:もしいま、お二人がご存命だったら、僕はきっと「もう一度、一緒にやりたい」と言っていたと思うんです。いまもそういう思いが自分の中にあるので。でも、お二人はもうこの世にはいらっしゃらないけれど、こうして前川さんと出会わせてもらえたことが、大きな意味を持っているように感じています。新しいことに挑戦できていることが自分にとっても大きな一歩ですし、こういう環境を作ってくれた周りの人たちにも感謝して、公演初日を迎えたいですね。

(編集部・藤井直樹)

AERA 2020年11月9日号