新型コロナウイルスの感染拡大は私たちにどんな影響を与えたのか。社会学者の西田亮介さんとジャーナリストの堀潤さんが、不安に突き動かされたコミュニケーションの危険性について語った。AERA 2020年7月27日号から。
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西田:人々が不安を感じるのはどのようなときでしょうか。僕は政府の発表やメディアの報道が、「自分たちの認識と必ずしも合致していない」と思える状況に尽きると考えています。今回でいえば、三つの課題をあげられます。ひとつ目は、政府がどんな方針で感染症に立ち向かおうとしているかを世の中にうまく提示できていません。ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるようです。
堀:経済と命をどう両立させていくのか、方向性が見えません。
西田:もうひとつ、メディアにも課題がある。政府省庁の発表報道を現在進行形で流すばかりで、補足情報や過去の振り返りをせず、独自の議題設定も読売新聞の提案などごく限定的です。
三つ目は、政府や省庁が世の中に耳を傾けすぎていて、合理性や効果より世論に迎合する形で政策を決めているのではないかという点──、これを僕は新著『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか、不安か』で「耳を傾けすぎる政府」と呼びました。この3点が、次のコロナ対策のボトルネックになっていると考えています。
堀:1点目でいうと、「夜の街」に代表されるように政府や自治体の表現は大くくりで、かつ大きな仮想敵をつくって耳目を集めようとしている感じがありますね。メディアもそのまま「夜の街は……」と流す。大きな主語は不安を煽り、受け手は強い権力を求めるように傾きがちです。だから、メディアはむしろ、政府や自治体の首長からの発表にはない、個別具体的なケースを丁寧に取り上げていく必要があります。新型コロナウイルスについて報道する際、僕自身が生かしたのは2009年の新型インフルエンザの取材経験です。
西田:当時、現地で取材されていたんですね。驚きました。