強烈に残っている記憶がある。4歳のときだ。弟の出産で母が入院し、門脇は友人の家に預けられた。初めて親と離れて、不安でいっぱいだった。

「生まれたよと父が迎えに来てくれて、病室に行ったんです。母は『麦、さみしくさせてごめんね。おいで』と言ってくれた。でも私はヘンに強がっちゃって『行かない』って。入り口で微動だにしないので、父が仕方なく連れて帰ろうとエレベーターに乗せた。扉が閉まったとたんに、号泣したらしいです。そういう感じは、いまも変わっていない気がします」

 帰国後に始めたバレエも門脇の素地を作った。我慢強く、負けず嫌い。努力でできなかったことができるようになる快感を知るいっぽうで「生まれ持った素質が人よりマイナスだ」ということには薄々気づいていた。

「私、猿手で腕が外側に曲がっているんです。膝もまっすぐではない。きれいに見せるために人よりも余計な力を入れる必要があった」

 それでも小学生時代、バレエ漬けの日々は充実していた。先生から注意されるたび、それをノートに書き出し、方法を探った。同じことを注意されるのは非効率的。文章にすることで、どう改善すればいいかがわかりやすくなる。いまでも「効率重視」で「思考型」だと自分を分析する。

 だが中学に上がると、どんなに努力をしても、残酷なくらいに差は歴然としてくる。

 14歳のとき、バレエの道を諦めた。熱中するものを失い、混迷の青春時代が始まる。学校でもどこか満たされず、人と深い関係になることができない。恋愛もまったくしてこなかった。(文/中村千晶)

※記事の続きは「AERA 2020年1月13日号」でご覧いただけます。