ハバナの観光タクシー。革命前の「アメ車」を修理、塗装。クルーズ船で寄港する観光客にも人気があったが、供給過剰に(撮影/安達康介)
ハバナの観光タクシー。革命前の「アメ車」を修理、塗装。クルーズ船で寄港する観光客にも人気があったが、供給過剰に(撮影/安達康介)

 今や世界でも数少ない社会主義国として、独自の文化を育んできた。慢性的なモノ不足のなか、明るさを失わないキューバの人々の心も揺れている。AERA 2019年9月16日号に掲載された記事を紹介する。

【経済制裁と改革に揺れるキューバの写真はこちら】

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 バスを待つとき。アイスクリーム店に入るとき。キューバ人は並ぶことに慣れている。

「エル・ウルティモ?」(列の最後の人は誰?)

 キューバを旅行するとき、「便利なスペイン語表現は?」と聞いて、教えてもらったのがこの言葉だった。キューバにおいてモノ不足は日常だ。しかし今年5月、首都ハバナの知人男性から、Facebookを通じて届いたメッセージは切実だった。

「1日並んでも、料理の油が買えない。1990年代のような深刻な事態になるのでは」

 店の棚から生活必需品が消え、配給でまかないきれない鶏肉も値段がはね上がったという。食料自給率が20~30%といわれるキューバでは、輸入に頼る品が突然入手できなくなるのは珍しいことではない。だが今回のモノ不足はソビエト連邦崩壊後、「草を食べてしのいだ」と言われたほどの危機を連想させる。そんな不安が書かれていた。

 キューバはどうなるのか。6月、現地に飛んだ。

 豆売りの呼び声を真似する子どもたち。道端のサッカー少年たちにゲキを飛ばす父母。若者の笑い声につられてはねる犬。体形をアピールするワンピースで闊歩する女性や、葉巻をふかしながら通行人を見つめる高齢の男性。どこからか陽気な音楽が鳴り、色とりどりのクラシックカーが走り抜ける。

 夏祭りのように騒がしい、元気いっぱいなハバナの下町コミュニティー。これぞ、キューバだ。悲愴感は感じられない。

 それでも、やはりモノ不足は深刻だった。市場では真っ赤なマンゴーが積み上がっているが、肉などの輸入品を売るスーパーは空っぽの棚が目立つ。街の中心部にも異変が起きていた。

「オバマバブルがはじけた」

 今回メッセージをくれた30代の男性はこう嘆いた。ウェーターをするレストランの店内は2年前は大にぎわいだったのに、今は客もまばら、生バンドの演奏も心なしか哀愁を帯びている。広場には赤やピンクに輝く「アメ車」のオープンカーが並んでいた。ハバナを1周できるタクシーだが、客がおらず、置物のようだ。

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