関東大震災は日本の災害史で最悪の被害になったが、死者10万5千人の死因の87%は火災による。神奈川県中南部の地震動は、東京、横浜よりも大きかった。つまり、比較的揺れの小さい東京を基準にしたことになる。だがその基準が、「関東大震災級にも耐えられる」と一般化され、過信が独り歩きをする。これが「安全神話」だ。

●戦中戦後の災害の記憶に「死角」があった

 注意したいのは、この二つの神話が社会に定着する時期に、超高層ビルと原発の建設が続いたことだ。超高層は63年に解禁され、68年に第1号の霞が関ビルが竣工した。63年に茨城県東海村の動力試験炉で初の発電が行われ、66年東海、70年敦賀・美浜(福井県)、71年に福島第一が商用原発の営業運転を始めた。その後74年の電源三法の後押しで原発建設ラッシュが続いた。

 超高層ビルや原発には、一般よりもはるかに厳しい耐震設計が課せられている。だがここで問題にしたいのは、巨大構築物の建設ラッシュが、二つの「神話」で日本が防災に過大な自信を抱く時期と重なる点だ。それは64年の東京五輪から70年の大阪万博を経て昭和が終わるまで、「奇跡の復興」を遂げた日本がバブルの繁栄に至るまでだ。

 なぜそこまで過信が広がったのか。昭和の災害記憶に「死角」があったからだろう。

『日本災害史』(吉川弘文館)や『日本歴史災害事典』(同)を通読して思うのは、日本が古来、いかに頻繁に災害に襲われたのか、ということだ。

 詳しい記録が残る江戸期から大正まで、日本は繰り返し巨大災害に見舞われた。江戸では1703年の元禄関東地震から富士山噴火まで、さらに幕末にも1853年の小田原地震から江戸地震まで激動が続いた。明治には1891年の濃尾地震、96年に2万2千人の命を奪った明治三陸地震津波があった。大正では、史上最悪の被害となる関東大震災が起きた。

 ではそれ以降平成まで、大地震はなかったのか。そうではない。ただ、記憶されず、忘れさられたのである。

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