なぜ長崎出身の医師が福島に移住? 地域医療に携わるやりがいは… (2/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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なぜ長崎出身の医師が福島に移住? 地域医療に携わるやりがいは…

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野村昌二AERA
川内村に移り住んだ医師の木村悠子さん。登山も始め、週末は山登りを楽しむ。「追われない生活がいいですよね(笑)」(撮影/編集部・野村昌二)

川内村に移り住んだ医師の木村悠子さん。登山も始め、週末は山登りを楽しむ。「追われない生活がいいですよね(笑)」(撮影/編集部・野村昌二)

東山晴菜さん。2018年3月から、浪江町の地域づくり支援専門員として、町のコミュニティーの再生・再構築の手伝いをする。一日の楽しみは「晩酌!」と楽しそうに話す(撮影/編集部・野村昌二)

東山晴菜さん。2018年3月から、浪江町の地域づくり支援専門員として、町のコミュニティーの再生・再構築の手伝いをする。一日の楽しみは「晩酌!」と楽しそうに話す(撮影/編集部・野村昌二)

 高齢化が進む村で今一番の課題は、住民が在宅で健康に暮らせる仕組みづくりだ。村の高齢化率は、震災前は三十数%だったが、原発事故で若者たちが村を離れ今は実質50%を超える。急激な高齢化で介護ヘルパーが足りず、デイサービスはいっぱい。本来であれば自宅で過ごせる人たちが、そうしたリソースがないため施設に入らざるを得なくなっている。医療だけでは限界がある。診療所と福祉と介護──。この三つが横の連絡を取り合いながら情報を共有していくことが求められる。

「自分の健康は自分で守ろうという意識をどうやって盛り上げていけばいいか。せっかく村に帰ってきた人たちに、私ができることをやりたい」

 新住民の中には移住がゴールではなく、「旅の途中」の人もいる。

 東山晴菜さん(33)もそんな一人だ。

「自分たちが暮らしてきた町を誇りに思い、この町を大切に思う方々と一緒に過ごしながら、いろんなことと向き合いたいと思って」

 原発の北隣にある浪江町。東山さんは18年3月から一般社団法人「まちづくりなみえ」の地域づくり支援専門員として、7人のスタッフとともに働く。

 生まれは京都。大学を卒業すると、有機農産物を扱う会社でバイヤーとして働いた。大阪で震災に遭遇。このままここで仕事をしていていいのか、福島で農業を取り巻く課題に向き合いたい──。15年11月、福島県二本松市の農業系のNPOに就職。その後、南相馬市に移り地域振興に携わっていたときに浪江町で地域づくり支援専門員の仕事があると聞いた。応募し、移り住んだ。

 震災前、浪江町には約2万1千人が暮らしていたが、今は900人近く。戻る、戻らないはそれぞれの判断がある。でも故郷を大切に思う気持ちはどこにいても同じ。この町を大切に思う人たちと一緒に過ごすことで自分が変わるかもしれないと思ったという。

 2人1組で一軒一軒回り、住民の話に耳を傾け、それを地域づくりに生かしていく。昨秋、町内5地区で「クリーン作戦」、つまりごみ拾いを実施。震災前から各地域で実施していた行事で、「またやりたい」という声があがった。ごみ拾いをしながら約2キロの距離を歩いた。どの区も30人近くが参加し、昔話に花が咲いた。


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