横浜市にある日産自動車本社。19日夜、ゴーン容疑者逮捕を受け西川社長は会見を開き、「あまりにも1人に権限が集中するのは問題だった」などと話した (c)朝日新聞社
横浜市にある日産自動車本社。19日夜、ゴーン容疑者逮捕を受け西川社長は会見を開き、「あまりにも1人に権限が集中するのは問題だった」などと話した (c)朝日新聞社
ゴーン容疑者の歩み(AERA 2018年12月3日号より)
ゴーン容疑者の歩み(AERA 2018年12月3日号より)
日産・三菱自・ルノーを取り巻く状況(AERA 2018年12月3日号より)
日産・三菱自・ルノーを取り巻く状況(AERA 2018年12月3日号より)

「カリスマ経営者」の代名詞だった日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者が逮捕された。家臣が主君に背いたとも目されるが、結局は海外の支配者に乗っ取られる恐れもある。

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 11月19日の午後5時半ごろ、三菱自動車の益子(ますこ)修CEO(最高経営責任者)が電話を受けた。

「ゴーンが逮捕されました」

 声の主は日産自動車の西川(さいかわ)広人社長。それ以上の詳しい説明はしなかったという。日産、ルノーと連合を組む三菱自でも、カルロス・ゴーン容疑者は会長職にあった。捜査が大きく動いたタイミングで、益子氏は最初、

「何かの間違いだろう」

 と思ったという。その後に東京地検特捜部が金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いでゴーン容疑者を逮捕したと発表。社内の法務部門や顧問弁護士らと協議を始めた。日産はゴーン容疑者の会長と代表取締役の職を速やかに解くことを取締役会に提案すると発表し、三菱自も日産側からの説明がないなかで、追随して同じ措置をとると決めた。日産が連合相手にも沈黙を続けるのは、

「日産経営陣が、生きるか死ぬかの勝負をかけたからでしょう。むやみにことを明かして、捜査の足を引っ張るわけにはいきません」(日産関係者)

 ゴーン容疑者は「コストカッター」と恐れられ、日産社長だった2001年、村山工場を閉鎖。こうした破壊的な経営姿勢が戦国武将の織田信長に擬せられた。今回は家臣が「生きるか死ぬかの勝負」をかけて謀反を起こした本能寺の変なのか。

 20年来、日産を取材するジャーナリストの井上久男氏は、戦いの火ぶたが切られたポイントに、今年2月に日産の筆頭株主、仏ルノーがゴーン容疑者のCEO再任を決めたことを挙げる。

「ゴーン氏は日産・ルノー・三菱自3社の事実上のトップで、3社連合の共通戦略を決める事業統括会社ルノー・日産BVのCEO職を手放したくなかった。ルノーのCEOがその職を兼務する内規があり、再任にあたりフランス政府の要求をのんだ」

 その要求の一つが「ルノーと日産の関係を後戻りできない不可逆的なものにする」ことだ。

「経営破綻寸前だった日産を救ったルノーも、今は立場が逆になった。日産からの配当や技術なしではやっていけないほど、体力も商品力も弱っている」

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