これだけ手間をかけて育てる吉野杉だが、今の市場ではなかなかそれが価格に反映されない。木材の価格が昔に比べて10分の1以下にまで下がっているため、林業の存続も危機的な状況である。吉野にいる山守は、現役世代で30人程に減ってしまった。先代から続く美しい木目の吉野杉をつくり続けられるのか、また、今後どう山を守っていくかが課題だ。公開前に行われた映画「Vision」の完成報告会見で、河瀨直美監督はこう言った。

「日本を代表する美しい山の産業が衰退していくことは、なにか人間にとって“負”になると思う。今回のテーマは、危機感が原点にあった」

 前出の中井さんも状況を何とか良くしていきたいという。

「単純にこれまでのように木を切って売るだけじゃなく、先人たちがつないできた歴史をこれから1千年先まで続くようにしていく。例えば、山を体験しにきてもらうだとか、いろんな形で山の事業を存続させる環境をつくらないと」(中井さん)

 吉野町でも、様々な挑戦が始まった。例えば、中学校で3年間使う学習机を子どもたち自身が地元の材木を使ってつくる「愛・学習机プロジェクト」がそれだ。学校で共に過ごす机を吉野材にしたかったという。

 そのほかに、「吉野杉の木桶復活プロジェクト」では、「百年杉」と命名された木桶仕込みの酒がつくられた。まずは酒を通して吉野を知ってもらえないか。樽や桶の製造により吉野林業は発展した歴史がある。

 ガイドと共に森の中をゆっくりと歩く「森林セラピー」も、空間資源で“体験“という新しい価値をつけるものだ。“吉野美林案内人“という専門のガイドとともに、ウォーキングコースを歩いてみることにした。場所の簡単な歴史説明を聞きながら、草木の香りを楽しんだり、瞑想をしたり、杉の木々の間に取り付けられたハンモックに寝転がってゆったり時間を過ごしたり、これらは精神的ストレスの軽減や健康維持等を目的としているそうだ。年間で900人ほどが訪れるという。

 歩いたのは、龍門岳のふもとにある龍門の滝や津風呂湖周辺を巡る「神仙峡 龍門の里コース」。最後に立ち寄る龍門寺跡では、奈良時代に東大寺や興福寺から来た約1千人の学僧が学んでいたそうだ。今は杉に覆われて見えないが当時は、龍門寺から奈良まで見えたのではないかと吉野美林案内人は言う。

 今回、吉野美林案内人としてガイドをしてくれたのは、65歳のときに東京から吉野にUターンをしたという坂井佐久次さんだ。すっかり吉野の山の虜だという。

「ガイドになってから森をよく見るようになりました。毎回森の中の景色が変わるから、そのたびに新しい発見がある。知識というより、五感で癒やされて帰ってもらえたら嬉しい」(坂井さん)

(編集部・柳堀栄子)

AERA 2018年6月18日号より抜粋