85年、まず母子世帯に全額支給されていた児童扶養手当が、全部・一部と2段階制になり給付額が大幅に削減され、シングルマザーたちに衝撃を与えた。一方で死別母子世帯には遺族年金制度が導入され、充実した保障が約束された。同じ母子世帯でも「成り立ち」によって、社会保障に歴然と格差が強いられたのだ。

 男女雇用機会均等法と労働者派遣法も、女性たちを分断した。一部総合職の女性が従来の男性並みに働く一方で、多くの女性は不安定な雇用下での低収入労働に追いやられていく。

 73年の石油危機をきっかけに高度経済成長は終わり、財政の悪化が進んだ。80年代は福祉の担い手を国家から家族と企業へ転換する社会政策が取られた時代だといわれる。それは「男性稼ぎ主モデル」の強化だ。男性が妻子を養い、女性が家事・育児・介護を担う日本型福祉社会実現のため、この時期、稼ぎ主の男性を支える専業主婦を優遇する制度が作られていく。だから、大多数の女性の労働は非正規・低収入でいいとされたのだ。

 80年には相続制度に「寄与分(※2)」が創設され、84年にパート所得の非課税限度額の引き上げ、87年には所得税の配偶者特別控除(※3)の創設と続く。何より大きかったのが85年に作られた、国民年金における第3号被保険者制度(※4)だ。専業主婦には自身や夫が年金を納めなくても、年金権が付与されたのだ。日本型福祉を担う妻たちに対し、社会が報酬を与えるがごとくの優遇だ。

 法政大学教授の藤原千沙さんは、一連の政策を論稿でこう分析する。

「女性を優遇しているかに見える社会政策(※5)は、妻としての女性とそうでない女性を分断し、女性の経済力の獲得を阻害し、女性の貧困問題を覆い隠すものであり、妻の座の優遇措置と母子世帯の生活困難は表裏一体である」

 90年代に入り、労働市場に女性が一気に増えていく。それは非正規労働の急増を意味した。女性非正規従業員の比率は85年の32.1%から、2013年には55.8%へと上昇する。しかし、男性の非正規雇用の倍以上の数値でありながら、女性の貧困は長い間、問題にされてこなかった。それは日本型福祉社会での女性モデルは、父や夫に扶養される存在だからだ。

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