プロレスラーになるなら東京に出て、新日本プロレスや全日本プロレスといった団体に入門しなければならない時代。高校卒業後サスケさんも上京し、プロレスラーとしての一歩を踏み出した。そんなサスケさんのプロレス観を根本から変えたのは、メキシコでの修業だった。

 メキシコでは、どんな小さな町にもプロレスの常設会場があった。広大な大陸を高速道路で移動して回る日々。そこで目にしたのは、老若男女、3世代が手を取り合ってプロレスを観に来る光景だった。衝撃だった。その後日本に帰国し久々に地元・岩手に里帰りした際、身体の中に稲妻のような閃きが走った。

「『ここでやりなさい!!』という啓示のようなものが降りてきた。使命だと思いました」
 実際ビジネスとして成立するのかシミュレーションを重ねた。

「何度考えても出る結論は、『日本人はプロレスが大好き』。25年やってきて、まったく間違っていなかったと思います」

 その後、みちプロの後を追いかけるように、次々と新しい団体が各地で旗揚げされた。プロ経験がある選手がいる団体から、学生プロレスが前身の団体など、規模やカラーはさまざまだ。

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