やなぎさわ・きょうじ/1946年東京都生まれ。東京大学法学部卒業。防衛庁運用局長、内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)などを経て、国際地政学研究所理事長。「自衛隊を活かす会」代表 (c)朝日新聞社
やなぎさわ・きょうじ/1946年東京都生まれ。東京大学法学部卒業。防衛庁運用局長、内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)などを経て、国際地政学研究所理事長。「自衛隊を活かす会」代表 (c)朝日新聞社

 米朝関係が緊張するなか、国内には北朝鮮への武力行使を支持する声も出てきている。元内閣官房副長官補の柳澤協二氏は、この戦争による“リセット願望”の責任は日本の政治にあると指摘する。

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 果たして社会体制が崩れるほどの“リセット”などできるのか。「戦争が世の中を大きく変える」という考え方は昔からあるが、歴史的に見ても、戦争で破壊すれば良い制度ができるかというと、そんなことはない。

 そんな主張の背景には、ほかに出口が見つからない閉塞感がある。そこに焦点をあてるべきだ。問題は社会の矛盾に気づきながら、どうしていいか分からないことであり、それを吸い上げるのが政治のはずだが、今の政府が未来に希望を持てるような展開にできておらず、社会も対応できていない。政府は競争、弱肉強食の論理でしか動いていない。そこの矛盾をどう解決するか。実際には、地道で静かな社会変化を起こすしかない。

 さらに「リセットのための戦争」と主張する人は、自分が死んでもいいと思っていない。実際の戦争は自分や自分につながる多くの人が死ぬ可能性もある。人間の人としての存在は周りにいる人に支えられている実感があればこそ。戦争でそういう人が失われる。それは耐え難いはずだ。

 だが政府が先導して世論を他国への敵意にもっていけば、戦争の要因となり、相手も乗ってくれば、罵りあいが起き、実際の戦争になる。戦争とは、政治が起こすものなんです。問題は危機感を煽るほうが選挙に勝ちやすい点で、そこに民主主義の弱点もある。

 ネットの意見も含めて、自分が率先して死んでもいいという人は誰もいない。「誰かがやってくれる」と思っている。撃ち合いはできても、犠牲者が出た途端に日本人はついていけなくなるだろう。

(構成/ライター・羽根田真智)

AERA 2018年3月19日号より抜粋