東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の「谷川俊太郎展」が好評だ。母・佐野洋子の夫としての谷川を知る、画家で絵本作家の広瀬弦さん(49)が、会場を歩いた。
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「すごいなあ。これだけ持ってきちゃったら、谷川さんち、空っぽなんじゃないの」
と、弦さんは笑って話す。実際、展覧会場は谷川俊太郎(86)を形作るもので溢れている。書き下ろしの詩をはじめ、私物のコレクションや写真、お気に入りのTシャツ──etc.
弦さんの母で作家の故・佐野洋子(1938-2010)が谷川と再婚したのは90年。当時21歳だった弦さんは“谷川姓”になったことはなく、父親という存在ではなかった。だが、その名前は小学生のころから知っていた。
「最初に知ったのは『ピーナッツ』かな。そのあとは……あ、あそこにある『ぼくどこからきたの?』(74年出版)という絵本。あのブックデザインを僕の父が担当したんです。父は張り切って書体も自分で作ったと言っていた。まさかその後、自分の別れた妻が谷川さんと一緒になるなんて想像もしてなかったでしょうけどねえ(笑)」
母に改まって紹介されたのは中学生のとき。
「最初のころはけっこう二人、イチャイチャしていましたよ。僕と谷川さんの話題は、ほとんど仕事の話でしたね。あと谷川さんは車が好きだから、車の話もよくしました」
96年に二人が離婚した後も、弦さんは谷川と交流を続けてきた。母もしばしば谷川を気にするそぶりをみせたという。
「谷川さんの別荘が北軽井沢にあるんですが、オフクロは谷川さんと別れたあとに、なぜかその隣に土地を買って家を建てたんですよ。で、『私は会いたくないから、(谷川さんが)来てないか確かめてきて』とか言う。なにやってんでしょうね(笑)」
弦さんは90年代から谷川と仕事をしている。03年の共作『まり』はシンプルな絵が印象的だ。
「谷川さんとの仕事はおもしろいし、割と自由にできます。こういう絵が欲しいとか言われたことはないですね。『まり』のときは確か谷川さんが『まりが転がって……』という文章を僕に送ってきて、僕がこの絵をイメージした。そういうところは任せてもらっています」
共作『いそっぷ詩』では、毒と教訓が詰まったイソップ童話を谷川が新解釈し、弦さんが細密で美しい絵を付けた。弦さんから見た、谷川作品の魅力とはなんだろう?