上演を重ねての実感だ。

「井上戯曲のおもしろさは、『なんでもあり』なところ。シェイクスピアと似ていますよね。いくらでもデフォルメでき、演じていて楽しいけれど、お客さんが笑ってくれるからと、いい気になると芝居がめちゃめちゃになる怖さもある。そうならないように蜷川さんは、ギリギリのところで締める演出をした。そこはきちんと守っていきます」

 蜷川からは、大きな仕事を託された。

 彩の国さいたま芸術劇場で、1998年にスタートした、シェイクスピア全37作品を上演する「彩の国シェイクスピア・シリーズ」である。「完走」まであと5本を残して蜷川は逝った。その遺志を継ぎ、吉田はシリーズの2代目芸術監督になった。

 シェイクスピアは、俳優・吉田鋼太郎の背骨である。高校時代、劇団雲の「十二夜」を見て、演劇の魅力に開眼し、上智大学では「シェイクスピア研究会」。その後、劇団シェイクスピアシアターなどで腕を磨いた。

 蜷川から初めて主役を任されたのも、04年「彩の国」での「タイタス・アンドロニカス」だった。「知名度が低くても、力のある俳優に機会を与えたい」と、蜷川は吉田を抜擢(ばってき)した。

 中小の劇場では何度も主演していたが、大舞台の中心に立つのは初めて。翌々年には、英国のロイヤル・シェイクスピア劇場での公演も予定されていた。

 やる気は稽古の初めから沸点を超え、怒りと悲嘆を表現する場面で、腕を床に思い切りたたきつけ、骨を折った。負傷は褒められたことではないが、気合は周囲を圧倒した。蜷川は稽古場で「やる気のない奴は、鋼太郎と絡ませる。大けがしても知らないぞ」と、うれしそうに共演者を叱咤(しった)した。

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