「神さまを感じるけど目に見えない。だけど、目に見えないからこそ、ありがたいのかもしれないですね」

 出雲を訪れた人に共通するのは、「神さまを身近に感じる」という感覚だ。目に見えないものに守られている感じだ。出雲に集まった八百万の神が最後に立ち寄る場所とされる、五十数代続く万九千(まんくせん)神社(出雲市斐川町)の錦田剛志(にしきだつよし)宮司(48)は言う。

「日本人は本来、目に見える世界と目に見えない世界のバランスの中で生きてきたはず。だけど、都会での目に見える生活の中でバランスを崩してきました。出雲は、神話では黄泉の国への入り口。つまり、暗闇を感じることができます。そのため、出雲に来るとそのバランスを取り戻すことができるのではないでしょうか」

 ではなぜ、神々は旧暦の10月(神在月)に出雲に集まるのか。

 神在月の研究を続ける県立古代出雲歴史博物館(出雲市)の学芸企画課長、品川知彦(としひこ)さん(54)によると、諸説あり、神社によって異なると話す。

「たとえば出雲大社の祭神の大国主神(おおくにぬしのかみ)が目に見えない幽事(かくりごと)を支配するため、その下知を受けに出雲大社に集まるという説です」

 他にも、陰陽説で極陰(ごくいん)の月(10月)に中央(京都)から見て極陰の方向(北西)、つまり出雲に陽である神々が集うことによって世界が再生するとされる説。神々の母である伊弉冉(いざなみ)が10月に出雲で亡くなったため、「法事」としてすべての神が集まるという説もある。

「諸説あるのは、昔は今より神さまが人間世界に関わる領域が大きく、神さまがどこにいるのかが重大な関心ごとだった。そのため、さまざまな理由が考えられ、神社によって異なる説をとっているのだと思います」(品川さん)

(編集部・野村昌二)

AERA 2018年1月15日号より抜粋

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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