ゲイを公表する監督が舞台「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を生み出したのは97年のこと。オフ・ブロードウェーで大ヒットし2001年には自らが監督・主演し映画化。全世界を熱狂で包んだ。男性として生まれながらも、女性として「自分らしく」生きようとするヘドウィグの生き様は、多くの人に勇気を与えてきた。

「ヘドウィグは分身というよりも、子どものようでもあり、別れた妻のようでもあるかな。その存在に責任を持たなきゃいけないし、ときにイラッとさせられるという意味でね(笑)。自伝的要素もあるけれど起きたことそのものよりも気持ちのうえで近い。僕は彼女のように急に暴力にさらされたり、性転換手術を無理矢理受けさせられたりするようなことはなかった。でも彼女が常に感じている、自分の居場所がなくて、碇(いかり)を下ろせず漂っている感覚や、人とのつながりを求める感覚は共通している」

 軍人である父について、イギリスやドイツ、アメリカを転々とする少年時代を過ごした。

「当時はカミングアウトもしていないし、小さな街の小さな世界が自分のすべて。でも想像力だけはたくましかった。僕にとって創作は自分の魂に滋養を与えるもの。それが人のために役立つものでありたいと、常に願っている」

 10月には舞台「ヘドウィグ~」の日本公演で、主演も務めた。

「10年前に日本に来たときはセクシュアリティーについて語ることにまだナーバスな印象があった。でも少しずつリラックスした状況になっているのかな。日本には『あらゆるものに神が宿る』という考え方がありますよね。それが『誰もが特別で、ユニークでいい』という考え方につながっている気もして、興味深く思っているんです」

(ライター・中村千晶)

AERA 2017年12月11日号