9秒98の歴史的日本記録を示す電光掲示板の横でポーズを取る桐生祥秀(東洋大)。高校3年で10秒01を出してから4年半の苦節を乗り越えた達成感を物語るような晴れやかな笑顔だ (c)朝日新聞社
9秒98の歴史的日本記録を示す電光掲示板の横でポーズを取る桐生祥秀(東洋大)。高校3年で10秒01を出してから4年半の苦節を乗り越えた達成感を物語るような晴れやかな笑顔だ (c)朝日新聞社
桐生が日本新を記録したレースの判定写真。1000分の1秒間隔のスリットで判定される。桐生は9秒98、2位の多田修平は10秒07のスリットでゴールを通過(写真:日本学生陸上競技連合提供)
桐生が日本新を記録したレースの判定写真。1000分の1秒間隔のスリットで判定される。桐生は9秒98、2位の多田修平は10秒07のスリットでゴールを通過(写真:日本学生陸上競技連合提供)

<10秒00の壁>が破られる日が、ついに訪れた。9秒98の金字塔を打ち立てたのは桐生祥秀(東洋大4年)。この偉業は、先人が積み重ねてきたアイデアを洗練させる作業と、ライバルたちとの切磋琢磨の上に築かれていた。

 むせるような真夏の熱風は勢いが失せ、爽やかな秋の気配が差していた。この日の福井運動公園陸上競技場(福井市)は記録が公認されない2メートルよりも強い追い風が吹きがちだったが、このときに限って風は弱まり、絶好の+1.8メートルの風に収まっていた。

 9月9日午後3時31分。日本学生対校選手権男子100メートル決勝の号砲が打ち鳴らされた──。

 伊東浩司によって10秒00の日本記録が打ち立てられたのは1998年12月。それに続き、2001年には朝原宣治が10秒02を、03年には末續慎吾が10秒03を記録した。世紀をまたいだ2000年前後は<壁>の存在が姿を現したと同時に、それがいつ突破されてもおかしくない熱い時代だった。3人ともが当時、「9秒台は目の前にある。きっと出せる」と手応えを語った。だが、ついに3人が9秒台を実現することはなかった。

●9秒台レースを争う5人 未踏の道を行く孤独

 再び、日本人にとっての<壁>突破の予感がざわめき始めたのは、末續の記録から9年が経ったころのことだった。12年8月4日のロンドン五輪予選で山縣亮太(セイコーホールディングス、当時慶應大2年)が10秒07を出した。翌13年4月29日には、洛南高校3年になったばかりの桐生が織田記念の予選で10秒01という伊東に次ぐタイムを記録した。「桐生か山縣か? いつ出る?」と、走るたびに騒がれた。だが、そこからの紆余曲折は長かった。2人は何度もケガをし、「未踏の道を行くスプリンターの孤独」とでも言うべき試行錯誤を繰り返した。

 4年、5年と月日が経過するうちに、先駆者を乗り越えようと後に続く挑戦者たちが現れた。17年というシーズンに入ると、9秒台レースを争うプレーヤーは5人に膨れ上がっていた。昨年に10秒10を出して9秒台を視界にとらえたケンブリッジ飛鳥(ナイキ、当時ドーム)が、日本選手権の予選で10秒08にまで記録を伸ばした。それまで10秒2台が自己記録だった多田修平(関西学院大3年)は、6月に10秒08を記録して一気に次世代のエース候補に躍り出た。

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