この動作技術は男子100メートルの日本記録の更新に大きく寄与した。91年以降、伊東が10秒00を出した98年までの7年間で0.20秒も短縮された。

 ところが、それを境に日本記録更新の歩みがピタリと止まる。桐生によって時計の針が再び動き出すまで、19年もの年月を要した。普遍化した、もはや「9秒台を出すための条件」とさえ表現できる動作技術が分かってきたというのに。

 日本のトップスプリンターは技術を洗練させようと努力する過程で皆、思うに任せない困難さに遭遇していた。速く走ろうとすればするほど、速く走れなくなってしまうというパラドックス(逆説)の落とし穴があったのだ。このあたりに<壁>の実体の一側面が見え隠れする。

 例えば、スプリンターは速く走りたくて気が急くほど、どうしても力んで、地面をたくさん蹴りたくなり、足は後ろに流れてしまう。「重心の真下を踏み込む」ことが難しくなるのだ。

 そんな動作技術について深く考え抜き、いち早くパラドックスの存在に気づいていたのが理論派の山縣だった。

「接地時間は短くなりようがないと思う。それをやっちゃうと、空を飛んじゃうんで」

 13年5月4日。練習を終えて部室に戻ってきた山縣が、そうつぶやいた。

 空を飛んじゃう? どういう意味だ?と思った。だが、それはまさしく、速度が上がると接地時間が短くなり、逆に地面に大きな力を加えられなくなって速度は落ちてしまうというパラドックスに言及していたのだ。

 その後、山縣は13年秋の故障などでどん底を味わったが地道に試行錯誤を続け、16年リオ五輪で100メートルの準決勝進出と10秒05の日本人五輪最高、400メートルリレーの銀メダル獲得を果たした。同年9月には自己記録を10秒03まで伸ばしてみせた。

 桐生の9秒98を受けて山縣は「今回の日本記録をさらに上回れるように練習に励みたい」と意欲を燃やしている。

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