90年代にライターと出会い、のちに彼のアシスタントとなる「ソール・ライター財団」創設者のマーギット・アーブは語る。

「私がギャラリーの受け付けで働いていたとき、彼はしばしば訪ねてくる老人のひとりでした。話をするうちに私たちは仲良くなったのです」

 彼女は写真の整理のためアパートに手伝いに行くようになる。

「朝、彼のアパートに行くと、彼はいつも窓辺で水彩画を描いていて、絵筆を持って私を出迎えました。それからカメラを持って街へ繰り出し、カフェでコーヒーを注文し、帰宅して、の世話をするのです」

 ヴェルマールも回想する。

「彼はそれまで会ったことのないほど賢明で深みのある人物でした。それには彼の生い立ちが関係していると思います」

 ライターは敬虔なユダヤ教の家庭に育ち、父の後を継いで聖職者=ラビとなるはずだった。

「でも彼は家族の期待に背いて、写真家になった。彼の心には常に巨大な『罪悪感』があったのです。親戚がたくさんホロコーストで亡くなってもいる。そうした経験が彼の写真の深みになっている。彼のカラー作品にはどこか『暗さ』、季節感や刹那的な無常さ、『もののあわれ』のような感覚があります」(ヴェルマール)

●サインをデコるお茶目さ

 ヴェルマールによると、本人はチャーミングな人物だったようだ。

「サイン会のときに小さなスタンプをたくさん持ってきて、サインにデコレーションしていました。その様子がすごくかわいいの!(笑) 彼は本当にゆっくり時間をかけて撮る人でした。目的を決めずに街を歩いて、何かを見つけたら同じ場所にじっとして、たくさん撮るんです」

 晩年近くになって再び脚光を浴びても、彼は変わらなかった。

「そこが一番の魅力ですね。自分のために写真を撮り、『ただ見ているだけ』というスタイルを貫いた。自分を売り込むことはうまくできなかったけれど、自分の作品が多くの人に愛されたことを本当に喜んでいました。いまも日本での展覧会に大感激しているはずです」(ヴェルマール)(文中敬称略)

(ライター・中村千晶)

AERA 2017年6月19日号