小柳:次は30代です。稲垣さん「自己の細道」とありますが?

稲垣:30歳の時、阪神大震災がありました。当時は神戸に住んでいて、自分の住む町がガタガタに壊れてしまった。会社は報道に総力を挙げていましたが、私はついていけず、帰るところもなくて、死んだように電話番をしていた。仕事をやめようとすら真剣に考えた。でも震災から3年目に、それまで逃げ続けていた被災者の話を正面からじっくり聞いて1年間連載し、それで、自分にもまだできることがあるのかもしれないと思えた。自分にしかできないことを模索し続けた30代だったと思います。

 一方で、昇進の選別が始まり、女性だから差別されているような気がして、自己評価が高くて他者評価が低いからだめなのか、差別をされているから苦しいのかが、自分の中で区別がつかなかった。会社員人生の将来にそこはかとなく暗いものを感じ始めていた頃でもあります。

小柳:トンネルに入って、抜ける前のお話だったわけですね。飯崎さんの「彷徨(さまよ)う」とは、どういうことですか?

飯崎:30代でも5社くらい転職。履歴書の社歴が増えるので、「飽きやすい」と指摘され、うまく答えられなかった。でもある面接で、「それもひとつの才能じゃない?」と言われ、肩の荷が下りたような気がした。多方面に力が発揮できるということですから。頑張ってきたけど、30代で少し落ち着いて、改めて俺はいったい何がやりたいんだ、と考えました。

小柳:次は40代です。稲垣さんは、「自己の人生を折り返す」とありますが。

稲垣:あまり仲の良くなかった二つ年上の先輩が40歳になった時、「いよいよ、人生折り返しですね」と言ってやった。そしたら、その言葉が自分の中で響いてきて、自分もまもなく下り坂に入るんだなと気づいたんです。お金に頼ってぜいたくを楽しむ暮らしはいつかできなくなる。やばいなと思って、お金がない方がハッピーだという人生にしようと意識し始めた。すると会社が怖くなくなった。私が会社の面倒をみてやろうと「朝日新聞を変える会」を立ち上げ、活動を始めました。会員は私一人ですが。

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