イベントの様子。右から稲垣さん、飯崎さん、司会のAERA副編集長・小柳
イベントの様子。右から稲垣さん、飯崎さん、司会のAERA副編集長・小柳

 個性的なアフロヘアと節電生活でおなじみの稲垣えみ子さん(51)が、5月末に開催されたAERA編集部とエイベックス・ライフデザインラボによるワークショップ「アエラミーティング」に登場。同ラボの企画運営担当である飯崎俊彦さん(53)と、「これからの50歳」について対談した。年代ごとに過去を振り返った2人がたどり着いた50代からの人生とは? 司会はAERA副編集長の小柳暁子が務めた。

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稲垣えみこ(以下稲垣):私は大学卒業後すぐに朝日新聞社に入りました。高度経済成長世代のサラリーマンの家に生まれ、いい学校を出て、いい会社に入ればいい人生だと言われてきてその通りの人生を歩んできた。それが50歳で「会社を辞める」というまさかの一歩を踏み出してしまったところです。

飯崎俊彦(以下飯崎):僕は大学を出てから12社ほど転職しました。新しい自分を発見する大人のコミュニティーができればと思って、エイベックス・ライフデザインラボを立ち上げました。普段は裏方です。

小柳暁子(以下小柳):20代から50代までを振り返ってみて、各年代ごとにご自身でタイトルをつけてもらいました。20代をまとめると、稲垣さんは「自我と欲望」です。

稲垣:就職し、とにかく一人前になりたいという思いだけでした。仕事では上司や仲間に恵まれ、育ててもらった。お金については、給料をもらって自分で使える状況になり、ほしいものがいっぱい。上をむいて、いい生活していくために会社の中で自分の地位をつくっていかなければという単純な欲望でした。

小柳:電気もがんがん使っていたのでしょうか。飯崎さんの20代は「怖い物しらず」。

飯崎:占いに行ったら、「あなたはよく靴底が減る人です」と言われたんです。動き回る、と。高校時代から美容師になりたくて、大学を出て美容師として就職。初任給は大卒15万の時代に6万で、なにくそ、と思って最短で店長になりました。ちょうどバブルの時代で、いろいろやってみたくなり、ゼロからやる新規ビジネスにはまって、20代で4社くらい転職しました。

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