近年、ゲノムの内容を読み取る「シークエンサー」と呼ばれる機器の性能が飛躍的に向上し、数十万円程度の費用をかければ、1日~数日間で一人の全ゲノム情報を読み取れるようになった。そこから見えてきたのが、がんという病気の複雑さだ。
人の体は60兆個の細胞からなり、各細胞にあるゲノム情報はすべて同じというのが、これまでの生物学の常識だった。ところが、がん患者のゲノムを調べると、同じ人の中に、さまざまに改変されたゲノムが存在することがわかってきた。その数は数千~数十万カ所になる。
こうしたゲノムの変異ごとに、がんが“暴走”する仕組みは異なるため、それを抑える薬も異なる。そこで、どのゲノムの変異にどんな薬が対応しているかを調べるため論文を繰ると、大きな問題にぶつかる。
「ウェブでアクセスできる論文は2千万本以上。なかには間違った内容のものもある。さらに、14年はがん関連だけで20万本の論文が新しく発表された。データが膨大になり、研究者や医師の能力の限界を超えている。そこで、ワトソンに期待しているんです」(宮野さん)
7月、宮野さんの2年越しの思いがついに実を結んだ。研究グループにワトソンが導入されたのだ。ワトソンは事前に膨大な論文やがん治療の指針などを読み込んでいて、入力したゲノムの変異情報に応じた抗がん剤をリストアップする。
「医師が数週間かかっていた作業を最短10分程度に短縮可能」
日本IBMワトソン事業部の溝上敏文部長はそう話す。同事業部ソリューション担当の元木剛さんの見方はこうだ。
「人間の知的活動の範囲の拡大に貢献できると思います」
※AERA 2015年9月7日号より抜粋